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予定は2ヶ月〜

「けいすけ君、春からいなくなるから、今のうちに喋っといたほうがいいで、先生」

「えっ、けいちゃんまたどっか行くんけ?どこ行くん?」

「ああ、スペインに行こうか思いまして」

「えっ、どこって?」

「スペインに」

「ひえー、どんだけ行くん?」

「まあ、スペインだけでだいたい2ヶ月ほどの予定です」

「2ヶ月も!?そんな長いこと。それは勉強で行くんけ?旅行?」

「んー、まあ旅行ですかね」

「若いなあ、私ももっと若かったら絶対ついて行くわあ」

12月15日、書道教室にてーー


そうか、先生にとっては2ヶ月間の海外旅行は長期間になるのだな。確かに、2ヶ月間も家を留守にすることなんて、なかなかないことだ。社会人ならば仕事もあることだし、普通では考えられない時間の割き方ではある。ただ、今のところ僕にとって2ヶ月の海外旅行は、全く長く感じない。僕も一応社会人?ではあるけれど。2ヶ月の間にできることは限られている。広大な欧州の大陸で過ごす2ヶ月なんてあっという間に終わってしまうのだろうと予想している。時間の進み方はどこでも等しいから全く的外れな感想なんだけど。多分あちこち行こうとしている間に時間の経過を忘れてしまい、結局自分は何をしたかったのか、何に満足したのか、これは納得できる旅だったのか等、何もかも曖昧な状態でタイムリミットが来てしまうのではないかということを言いたかった。

とは言うものの、僕は海外に2ヶ月以上、いや、1ヶ月すら滞在した経験がない。最も長くて台湾に2週間。初めて海外に出たのは20歳の2月、タイとカンボジアに2週間弱。20歳にもなったら外国の一つや二つ行った経験がなければならないという意味不明な意識から、ひとりバンコクへの片道切符を購入し、ひとまず外国の土を踏んだ。そこから11日間、トゥクトゥクの運転手にぼったくられ、サソリを食べて呼吸困難になり、国境でゴロツキから逃げ、情に負けて子供から不要なものを買わされ、発熱と下痢でふらつきながら各地を巡った。あの時は一度に多くのことが起こりすぎて、それらにとても耐えられず2週間も経たない内に帰国した。お金と時間に余裕はあったが、それが当時の僕の精神的キャパシティの限界だった。(良いこともたくさんあったが)

2週間弱で外国滞在の我慢の限界が来たとはいえ、それでもこれから訪れる最短2ヶ月間の旅行は僕にとって束の間の出来事でしかない気がする。それは、あれから5年の間にいろんな経験を積み、どんな環境でも順応できる自信を身につけたからかもしれないし、単に帰国後の予定が何も無いからかもしれない。帰国後の就職活動と労働という現実から遠ざかりたいという気持ちが、海外滞在を長引かせたい、つまり2ヶ月では物足りないと感じさせているのかもしれない。それはかつて代わり映えのない日常から逃れるため、伊勢のお蔭参りに出かけた人々のようだ。

2ヶ月という海外滞在の期間は、留学にしては短すぎるし、旅行にしては少々長いと思う。何を目的とするかで時間感覚が変わるのは興味深い。僕の場合、勉強も遊びも同質のものとして捉えているから、それが短期なのか長期なのか判断しづらいところはある。書道教室の先生の「勉強?旅行?」という問いは僕にとっては即座に答えにくいものだった。学校に通うわけではないが、観光地を巡りたいわけでもない。ただ、欧州の街並み、暮らしを一度見てみたいと思っただけだ。その口実というか、僕を彼の地へと導くシンボリックな存在としてスペイン、サンティアゴへの巡礼道があった。だからスペインを選んだ。だけど、なぜ欧州の街並みを見たいと思ったのか、なぜ僕がサンティアゴへの巡礼道を歩くことを決めたのか、その根本的な動機までははっきりとは分からない。街並み散策が勉強なのか観光なのかも分からない。それらを分ける線はどこに引けば良いのだろう?なぜこの時期にあの場所へ行くことを思いついたのだろう?

2ヶ月という期間を超えて旅行する人は、もともと場所を選ばなくて良いような仕事をしている人か、無職か。最近ではクラウドファンディングなんていう資金調達の方法もあって、それで旅をしている人もいるみたいだけど、それについて無理解な僕は地味に働いて自分でお金を貯めているのである。クラウドファンディングを利用すればそんな長い準備期間を経なくともすぐに旅行に行けるのに、と言われることもある。確かに、何十万円というお金を稼ぐのに何ヶ月もの労働期間を要する一方、クラウドファンディグではもっと短い期間でお金を調達することができる。でも、今回その道を選ばなかった。長い労働期間も、それ自体旅を楽しむことに繋がっていて、旅の感動を引き起こす装置として機能するのだと、誰かの著書で読んだことがある。旅をする感動というのは、単に旅そのものに魅力があるだけでなく、これまでの長い苦行、苦悩、退屈からの解放ということからも引き起こされる。旅という非日常の感動を呼び起こすには、日常の退屈が不可欠なのだ。満腹を味わうには空腹でなければならず、愛を知るには孤独を知らなければならないというように。だから労働することも旅を楽しむために必要な要素なのだと思って納得しているのである。まあ、今の仕事はとても充実しているから退屈というわけではないのだけど。

もう2ヶ月旅行する分のお金は溜まったので、あとはどれだけ旅を長引かせることができるか。早く日本に帰りたくなるような状況がまたあるかもしれないから、今はなんとも言えないのだけど、少なくとも虫を食べて体調を崩すようなことはないと思う。来年の春、僕は無職無収入になり、旅に出る。でも本当の旅のスリルはその後に訪れるかもしれない。なにせ将来の不透明感というのが一番僕を不安にさせていることだから。それとも異文化に触れることで、その不安は払拭されるだろうか。大した問題じゃないと言えるようになっているだろうか。あるいは、社会の厳しさを痛感し、生き方を省みるようになっているだろうか。

そうして旅にかける思いは日に日に増幅していく。


「そうかあ、けいちゃんイタリアに行くんかあ。若いって、ええなあ」

「え?笑」

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