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草筆・木筆

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ツクシ、タンポポ、オキナグサなどの草筆、タイサンボク、モクレンなどの木筆で描いたギャラリー。
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記事一覧

タカサブロウで描く

筆や墨を買えない貧しい高三郎が、それで字を書いたという草。 三年ぶりにタカサブロウを使ってみたが、今回は墨に付けて。 11日は山之口貘の生誕日だったので、貘さんに因んだ絵も幾枚か。 草々舎ブログ「高三郎」

大根の筆

ちょっと大きな絵を描きました。 草筆にとっては大作です。 草々舎ブログ「大根の筆」

草々舎ブログ

ふうらかん関連の葉書絵や色紙、陶像、本などを販売するショップを開いています。草々舎という屋号です。 そこでブログを始めました。創作ペースに合わせての更新が理想です。ショップと絡めた展開ではあるのですが、ブログだけ読んでいただくのも大歓迎です。 noteのマガジンにある「ふうら逍遥」「草筆・木筆」はそのままです。従来通りの更新になると思います。

河童文字

去年、河童忌(2018年7月24日 9:24)に現れた河童文字。 それを今年印に彫った。 葉書用の小印が欲しくて(もう小さなものは難しく)一度失敗。それでもこの字を諦めきれず、再チャレンジ。木漏れ日には敵わないまでも、ようよう納得まで漕ぎ着けた。 初刻は「河童」と書いた葉書。 今年の河童忌の草画。筆はサトイモの小さな葉の付いた茎。 こちらは河童ならぬ獏。 左は山之口貘を偲んで、ガジュマルで描いた一頭。 右は河童忌に磨った中国墨でそのまま描いた一頭。

12月1日 大きなイチョウの葉が足元に落ちていた。思わず拾った。柄がとても長い。いい筆にもなりそうだった。 全長17cm、葉幅13cm。 12月2日 イチョウの葉に誘われるように墨を磨った。秋から冬は茶系の墨を使うことが多い。淡墨のきれいな墨を選んだ。何枚か描いて、最後にその大ぶりの葉を愛玩しているうちに、ひろびろとした葉面が扇面のように見えてきた。 イチョウの筆はもう無いので、センダンの筆で「幻野ノ黃蝶」と書いた。拾った日付も記しておいた。 十枚ほど描いた内の、初めの方

草筆で千枚描いた

草木で描いたはがき絵が千枚になった。去年の三月に始めて、一枚目はツクシ、千枚目はイネ。そのうち半分ほどが風羅で、五百枚目はフジバカマだった。筆になってくれた草木は約七十種。おかげで思いがけない蘇生の日々を送らせてもらった。 (左:イネ 右:フジバカマ) 葉書用の小さい印が欲しかったところ、音座が千枚を記念して彫ってくれた。書体は二年前に拾った石の文様。「屮」──漢字の部首で、「てつ」とも「くさのめ」とも読む。 「屮」印が出来上がって二日後の散歩。あれ、と作者が声を上げ、

薔薇で描く

好きな小路がある。バラが一株植わっている。 一昨年まで隣に町工場があって、仕事があると金屑が出た。深い紅のバラと、錆びた茶色の、青や銀のメッキの、種々様々な金属屑。その取り合わせが妙にシュールな風景であったり、フラメンコな雰囲気であったり、散歩の途上で、ふっとこちらが異邦人感覚に陥るのが面白かった。 たった一株だけれど、いつ通っても花を咲かせていたような気がする。工場が解体されても、バラは淋しく咲き続けた。ことし(2017)の正月に通った時は、花が一輪開いて、硬い蕾が一つあ

辛夷で描く

詩「木霊日」に登場する木は六本。その内、エノキ、サザンカ、キリが伐られて姿を消した。キリにいたっては切株も無い。残るはミズナラ、アベマキ、コブシ。足弱息弱となったいまでは、なかなか会いにも行けない。 この中で木筆を持っているのはコブシだけ。みんな欲しかったが、もう遅い。手の届くところに枯れた小枝があったので、「木霊日」代表としてもらった。 コブシが花を満開にした日に木々は歌った。空に向かって、魂魄がなって。その日一羽のアオジもまた歌った。あんなに小さな鳥が、こんなに高らか

羽根で描く

二ヶ月に一度行く病院の前庭で羽根を拾った。 調べるとどうもチョウゲンボウ*のものらしい。この辺りは案外猛禽がいて、山の上に立つ病院の屋上にハヤブサが止まっていたり、下の池にミサゴが舞い降りたりするのを目撃したことがある。 鳥の羽根は音座の方が詳しく、折々に拾った幾十枚かを大切にファイリングしてある。一応、そこに預けた。草の筆で久々に遊び始めた頃で、羽根ペンとして興味も湧いた。ヨーロッパで長く使われ、鷲ペンとも言うから鷹でもオーケーだろう。 最初に「鳥」という字を書いてみた

梧桐で描く

アオギリは実際の木に親しむ前に、俳人の河東碧梧桐でその名を知った。自由律俳句の創始者で、六朝風の書に味があって、人間としては虚子よりも好き。俳号の命名は子規、日頃青白い碧梧桐をからかってのことらしい。その子規だって病弱で夭折した。青瓢箪も青桐もそれぞれにきれいな色合いだけれど。 本物のアオギリは散歩道に何本か立っていて、まず最初に目に止まったのは、枯木に星のなる風景。舟形の実が散った後の黒い五芒星が冬の青空に実によく映える。そこに白い月が来て、白昼に宇宙的恍惚を覚える時があ

芒で描く

ススキは、<ふうら>にとっても思い入れのある植物。風にそよぐのは草の穂だけではなく、人のこころも同じ。旅にあれば、より共鳴同調する。 ふうら像の旅の杖は、アトリエ(哀愁館)の前を流れる犀川河原に生えていたクローバー、オオヘラバコ、マメグンバイナズナが基本三種。ススキは特別アイテムではあったけれど、やや大柄な、大きな手のひとが愛用した。 そんなススキを初めて筆に使う。昔から夢想の筆ではあった。 * 散歩で見つけたきれいなススキ。紫色で先っぽが白い。色が褪せたので、念願の

露草で描く

やはり蝶からの縁になる。ツマグロヒョウモンの羽化第一号が飛び立ったのを追いかけて散歩。普段は夕方だから、特別版。あまり通らない路で露草の青が目につき、きれいだなあと眺めているうち、白い一輪を見つけた。 以前から白い露草には憧れていたので、この邂逅はうれしく、全く蝶のお陰。 以来散歩は露草の青の新鮮な午前に変わり、二日後には別の場所で四つほどの白花を見つけた。もっとも道々数千個の青花を見続けた後である。 白い花は珍重で、お土産のそれを手にした<ふうら>も喜んだけれども、露草

春蘭・菫で描く

夏の終わりのある昼下がり、一頭の蝶(ツマグロヒョウモン)がスミレの鉢に産卵した。卵から孵った幼虫が葉を食い尽くして、何頭か保護、その後も幼虫は増えて、26頭を確認。屋外の多くは行方不明になったが、8頭が無事羽化して秋の空へ旅立っていった。 蝶の母親、卵、幼虫、蛹、こどもの蝶、と見届けるのは初めて。なにやら虫疲れもしたけれど、その間の散歩で、ヒョウモン蝶にイノシシとの遭遇危機を救けてもらったので、少しは恩返しができたのなら嬉しい。 蛹の殻だけが幾つか残って、なんとなく淋しい

バオバブで描く

二年前の夏、バオバブの種を入手して夢を播いた。十一粒のうち三つが発芽して、それぞれ双葉を開いた時に名前を付けた。 Sabar(太鼓)、Picca(鳥)、Jamm(平和)。 セネガル音楽が好きだったので、セネガル生まれのバオバブにウォルフ語で。 「Sabar」と「Jamm」はユースー・ンドゥールの曲名にもある。 バオバブ・トリオは最初の冬こそ無事に越したが、次を越せず、三度目の夏を迎えられなかった。 二年間の夢と緑に感謝して、残ったか細い幹で筆(木ペン)を作った。 八月一日