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ウイグル人の目2

体を洗う頻度について
 漢人も日本人ほどは体を洗わないようだが、ウイグル人もあまり洗わないらしい。チベット人ほどではないが少し臭い人が多い。乾燥した気候だからまだ抑えられているほうであるという事実に震える。安全検査で前に並んでいたウイグル人男性が靴を脱がされたときは俺が気絶しそうになった。
 新疆なんちゃら健康なんちゃら機関の発行した双語パンフレットを書店で見たところ、「外から帰ったら手を洗いましょう、寝る前には足を洗いましょう、一週間に一度は洗澡しましょう」と書いてあった。少ねえ。
 人間の生活は気候によって作られるのだ。

アルマン便利店について
 カシュガルの宿の隣にアルマン便利店というのがあった。なんでも揃っている小さな清潔な店内にかまど妖精のような店主がおさまっており、便利店なのに商店街の小さな書店のような空気を感じさせるのであった。俺たちは毎晩そこに水を買いに行ってはウイグル語の書いてある食品を買ってみるのみないのといじくりまわしていた。迷惑な客であったろう。
 あまり喋らないこの店主は知り合いのウイグル人や子供には一瞬だけ陽気になにやらを話す。ウイグル人同士でも知り合いでないと人見知りを発揮する。
 アルマンというのはこのスーパーフランチャイズの名前のようだが、俺たちは便宜的に彼をアルマンと呼んでいた。

水漏れについて
 カシュガルのホステルの洗面は長いこと水漏れしていた。結構な大きさの水滴が落ちるので、受けるタライもすぐに溢れるし、なにより音がポタポタと一晩中うるさいのには閉口した。漏れているあたりに長い紐を結びつけ、水滴を伝わらせることで消音には成功したが、洗面がの床が始終濡れることに変わりはなかった。

 ある日のこと、オーナーが「おまえらの部屋水漏れしてるんだっけ。」と言った日、部屋に帰ってみたらトイレのゴミ箱に旧水道管が無造作に捨てられており、水道管はなにかビニールの太いストローみたいな新しいものに変わっていた。
 こうして地味に大きなストレスであった水漏れから開放されたのでした。
どうでもええわ。

ホータンの市街地について
 ホータンの市街地は確かに小さいが、それを小さいと思うのは漢人の観点ではないだろうか。

 京阪リムジンバスの中国語放送について
 南方人にむりやり巻き舌をさせたような音。

 カシュガルのポイナップ路、タリム路の市場について
 野菜果物ならなんでもあった。漢人とウイグル人はちょうど半々のように見えた。知る限りここが最もドライフルーツの安かった場所である。

 カシュガルの市街地について
 人民路を挟んで南は漢人北はウイグル人が住む。南の方はなんだか四川の田舎みたいな雰囲気である。北の中心地は老城とかいって観光地化されている。北東はなかなかにウイグル人の街である。北西もどうやらそうらしい。
 肝心の人民路はしつこいほどまっかっかな上に、服屋と携帯屋とミニソーとミニソーのパチモンがあるぐらいの田舎の目抜き通りみたいなもんである。しかもこの街の多数派を占める人々は、そこを目抜き通りであると思って喜んで集まってみたりはしないので、やっぱり若干閑散としている。これならまだ宜賓なんかのほうが賑わっている。
 ウイグル人は他のところへ行って遊んでいるのだろう。生活の時間も地点も漢人とはずれているのである。

 カシュガルのタクシー
 タクシーの上についている電光掲示板には「偉大な共産党万歳、中国万歳、すべての民族の協力を」とかなんとかがぐるぐるループ表示されている。成都で乗ったタクシーなんかはせいぜい「品行方正な運転を」ぐらいだったのだが。
 カメラは前部座席と後部座席、少なくともそれぞれ一台ずつついている。タクシー運転手の情報はしっかりと後部座席にでかでかと貼り付けてある。
 タクシー運転手はたいていウイグル人である。

 ウイグル語
 ウイグル語ができなければ新疆がどうなっているか本当に知ることはできない。ウイグル人と話すことが本当にできないからだ。彼らは驚くほど中国語を話さない。ウイグル語がろくに話せない自分が今回見たのは漢人モードの新疆にすぎない。
 しかしそれでいい。正しい理解などはどうせ存在しない。俺は何も見なかった。

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