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どうしてピアノを習う(習わせる)か

昔から、自分に子どもがいたら、ピアノは是非習わせたいと思っていました(簡単に言えば、自分がやっていたから、ですが)。

今、ふたりの子どもに念願かなってピアノを習わせることができているのですが、子ども達に、どうしてピアノ(クラシック)をお母さんが習って欲しいのか、説明したことがあります。

音楽は、楽しいのが大切だよね、でもね、ただ楽しいためだけだったら、うちで遊んでるのでも良さそうだよね。

どうして、ピアノを習うかというとね、「ぶんか」を身体の中にいれて欲しいからだよ。

(子ども達は、「こどものための世界地図」という絵本で、「ぶんか」という言葉が出てきているので、ああ、あの「ぶんか」ね、という反応でした。)

「ぶんか」はね、世界のいろいろな所で色んな形で出来てるよ。「ぶんか」が無かったらね、「じんるい」なんだよ。

(NHKのクローズアップ現代かなにかで、先史時代などの事をやったのを、子ども達は気に入っていて、そこから、その頃の人間のことを「じんるい」とうちでは呼んでいる。)

「ぶんか」はね、積み重ねなんだよ。積み重ねって何かというとね、土台があって、その上に色々作っていくんだよ。ほら、あのおうちも見て。昔は何にもないところに、じんるいは住んでたんだよ。穴の中で寝たりして。でも、色んなことを、人間は発見したり、努力したりして、積み重ねて、どんどん色々出来る様になってきたんだよ。

それでね、ピアノもね、昔から、沢山の人が積み上げてきたんだよ。どういうのがきれいかとかね、そういうのが入ってるよ。お母さんはね、このぶんかをね、君たちの身体の中に入れて欲しいと思ってるんだよ。

子ども達は、ただ、(楽しいことも大切ですが)楽しいためだけじゃないために、ピアノをやるんだなということを理解してくれた様子でした。

私自身が、今、ピアノを長い年月を経て、再開したところです。ベートーヴェンの月光(第一楽章のみ)を初めて弾いて、改めてその美しさに心打たれました。そして、これは聴いている時の感動とはまた違うものでした。自分が音の発生源(本当はピアノが発生源ですが、その発生の原因のひとつ)となることの、感動でした。

この素晴らしく複雑で美しい音の連なりは、何百年も前に生きていたベートーヴェンという人が作ったものであるわけだけれども、その音を私が今、ピアノというシステムを使って、再生している(拙いにせよ)わけです。私の身体を通して、数百年前に生み出されたものが、再び、生み出されるわけです。という事を、弾きながら、感じ入ったりしていたわけです。

音楽は時間の芸術と言います。音楽の素晴らしさは、まさに、この、身体化にあると思います。何か物を作りだすのと違うのは、身体を通過させることが、即、コピー(再生)となるというところだと思います。

「ぶんか」とは、大勢の人の手で、継承し、積み上げていくものなんだなということを、改めて感じます。それは、過保護気味に守られずとも、それ自体が力を持っているに違いない。

私たちは何をどう感じるか。きれいなもの。普遍的なもの(時代や、場所の違いに左右されない)。

そして、人間が、自らの身体を使って、何を通していくかというのは、とても興味深いなと思います。

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