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何故?夫の顔面が歪んでいくの?

はじめに

その日は突然でした。
病魔は突然やって来て、平和な日常を壊していきました。
なぜ、私は夫のSOSに少しでも早く、気が付くことができなかったのか。
まずは、顔面麻痺という病気になった経緯とこの病の恐ろしさ、原因となったパワハラについて、お話ししたいと思います。

私の父親と夫の関係

夫の仕事は、私の実の父の元で「運送業の配送ドライバー」として働くことでした。
そもそも、私の父は大手の運送会社を自主退職した後に、独立をし今の地位に着きました。
当初は、身一つで始めた為、お金も無かったです。その為、母はいつも口座を見て溜息をついていました。
思えば、この頃から今考えれば、おかしいという事がありました。
私は夫に、父の矛盾と嘘を告げられるまで、絶対的な存在である両親が間違いを犯すわけがないと、思い込んでいました。(なぜ、そう思っていたかはあまり関係がありませんが、機会があればお話しさせてください。)
夫とお付き合いを始めた当初、たまたま父と同業者であった事から、度々それも執拗に、父の会社を手伝って欲しいと言われていました。
まだ、結婚もしていないのに父と顔を合わせる度、何度も仕事を手伝ってくれと言うので、夫は根負けし私と籍を入れ、父の仕事を手伝う覚悟を決めてくれました。
夫は今まで培ってきたキャリアを全て捨てて、私の父の事業を手伝うことにしてくれたのです。    
今考えると、これが一番の間違いだったと心の底から思います。

上がらない給料

自営業と聞くと、会社員よりお給料が高いイメージを持つ方も少なくないと思います。
会社員と違って、全て自分で行わないといけない為に、確かにお給料(自営業なので、正しくは給料ではありませんがわかりやすくする為に、給料と記載しています
。)は高いのかもしれません。
しかし、我が家は運送業での配送をメインワークとしており、車両維持費などの経費がかかるため、決して高いお給料に設定できていません。
むしろ、父から支払われるお金は少なく、夫の貯金を生活費に補填してもらっていました。
父は夫にも私にも、「会社が安定して稼げるようになったら、必ず支払う額は大きくする。今は、まだ会社も小さく、お給料を最低限でしか渡せない。耐えて欲しい。」と言う旨の話をしていました。それは、仕方のない事だと夫は我慢をし、耐えてくれました。
そして、会社が大きくなり始めたすぐの頃の給料は上がりませんでした。何度、社長である父に抗議しても、上手くかわされてしまいまともに取り合ってくれる事もなかったです。
どこか不透明な経営状況が、会社が上手くいっているのかもわからずで常に不安の渦中にいました。
やっと、少し生活が楽になったと思えたのは、それから何年も経ってからのことでした。

父と母、そして問題。

そもそも、父には大きな秘密がありました。本人はそれを仇なに、否定し続けていますが、周囲の人間まで騙す事は出来ないようで、その秘密は家族以外が知る周知の事実となっています。

それは「愛人」の存在です。父には、長い間交際をしている愛人がいたのでした。
最初に発覚したのは約10年程前、愛人からの挑発からでした。
ある日、母の携帯に父から無言電話がかかって来ました。
母が耳を傾けると明らかに男女の乱れる声と、母が大好きだった父との思い出の曲が流れて来たそうです。どう考えてもおかしいと、電話が切られるまでの時間耳を澄ませていたとの事。
(録音するなり何かした方が良いと思われるかもしれません。私もそう思います。ですが、それほど混乱し困惑した状況だったと理解する事にしました。)
仕事から帰宅する父に母は詰め寄って、自白させようとしたみたいなのですが結局適当にあしらわれ、有耶無耶にされたそうです。
一般常識を考えると、この母の猪突猛進な行動は理解し難いですよね。上記でも書きましたが、私もそう思います。
私や皆さんなら、浮気相手とされる者が何者かを調べたり、興信所に依頼するなりをしてから父に詰め寄るのが、事を優位に進める為にも最善かと考えると思います。
ですが、母はそれを怠っていました。父の浮気を受け入れることが出来ないのでしょう。あくまでも、夫婦の問題なので娘の想像の範疇を優に超える事なので、憶測にしかすぎませんが、母は父に縋って生きていく事しか出来ない女なのです。

この事が、今後、まさか私の夫を苦しめる原因になるとは、思っても見ませんでした。

愛人と母の3650日戦争

私がこの女性の存在を認識したのは、母の元に掛かって来た電話の顛末を聞いた時です。仮のお名前として、愛人U氏とお呼びしましょう。
私は、愛人U氏自身と一度もお会いした事が無いので、全く面識はありません。
主に、その名前は父と母が揉めるときに、必ず出てくる単語として認識をする事となり、結婚後は夫から聞くことが増える様になりました。
余談ですが、私はこの女性の名を一生涯忘れる事が出来ないと思います。それくらい、この名前を書くことすら悍ましく感じるのです。

ある程度の事柄は、父を詰めて聞き出した情報を母から聞かされたので、そこで詳しく知る事となりました。
愛人U氏と父との出会いは、父がまだ大手企業に勤めている時だそうです。
恐らく、10年以上前からこの関係が続けられて来たのだと推測されます。
家族には、一切気が付かれず遂行しようとするなど、浅はかだとは考えなかったのでしょうね。
父が、あまりにも何にもしない為に、愛人であるU氏は我慢出来ずに行動に移したのでしょう。そうでないと、わざわざ母に関係をバラす様な真似はしないでしょう。マウントを取ろうとするあたり、かなり性格が歪んでいる事も容易に、想像がつきます。しかもこの不毛な戦いは、10年以上続く事になります。
因みにですが、愛人U氏は父の1つ年下で子供は私(実子)と歳の近い、男女が1人ずついます。

愛人と夫の立ち位置

会社には、私がパートとして、社長である父と“2人だけ”の本当に小さな会社でした。上記にも挙げましたが、夫は個人事業主として携わってくれていたので、あくまでも個人事業主であり”社員では無い”という立場でした。
なので、会社に所属しているのは社長である父とパートの私だけなのです。
しかしそれは、何も知らされていない内側の話なだけで、実際には私が知っている事実と違っていました。
あれだけ、母には「愛人はいない」と存在すら否定をしていたのに、他の契約しているドライバー達には周知の事実だったのです。
というのも、愛人U氏は夫以外のドライバー達の前では「私はセカンド」と吹聴しており、自分を副社長の様に扱う様にさせ、気に入らないドライバーはいじめというパワハラをし、契約解除に追い込んだりしています。
愛人という立場を乱用して、誰も意見できないようにしていったのです。
社長である父は、愛人U氏の暴挙を黙認していました。

私と夫がこの様な事を知らなかったのは、夫と現場が同じになる事も、愛人U氏と頻繁に顔を合わせるような仲では無かったからです。
では、なぜドライバー達は知っていたのか。そこに大きな秘密がありました。

父の公然の秘密①

上記にも書きましたが、父は大手運送会社で長年勤務していました。
21歳の頃入社し、それからの数十年間、運送会社一筋で仕事をして来ました。ですが、あと少しで退職金が出るという時に「退職した」と告げられました。本当に突然の事でした。
あまりにも、急な出来事で母が混乱しながらヒステリックを起こしていた事を、今でもはっきりと覚えています。
当時、父からは「会社で不正な事をしてしまい、それはみんながやっている事だけど自分だけばれた。その責任を取る為に、退職する。」と聞いていました。
どこか不透明な理由に、違和感を覚えましたが、当時の私は学生で事柄を深く考える事が出来ませんでした。今考えれば、そんなわけないだろうと言えたのですが…。無知な自分を恨みます。

お気付きの方もいらっしゃると思いますが、父は最大の秘密を抱えていました。それは、浮気が会社にバレて退職を迫られたという事です。
家族には、真実を告げていませんでしたが、人の口は止める事は出来ません。
父の当時からの部下が数人程、会社のドライバーとして在籍していた為に、それは公然の秘密として広まっていました。
夫がその事を知るのは、時間の問題でした。最初は、どのドライバーも夫に気を遣ってくれ、社長や愛人U氏の話を出さないでいたらしいのです。
ですが、業務をしていればいろんな場面があり、ついに彼らの悪口とも取れる内容を愚痴を、夫に話す事が増えていきました。
当時を思い返すと、夫は私には一度も父の悪口を言った事がありません。私が傷付かないように、そう言った言葉が耳に入らない様に耐えていてくれたのです。
内容としまして、個人情報がかなり含まれており、まだ先の話もあるのではっきりとは申し上げられないのですが…。

簡単に説明させて頂くと、社長と愛人U氏についての浮気している内容について、特に性的な話などを中心に、聞くに耐えないような内容でした。
夫と社長は、義家族という関係にあり、その彼ですら聞くに耐えない内容を、事が大きくなるまで一切私には伝えなかったのです。
もちろん、今は夫から話を聞いており内容は把握しています。それでもまだ、全てを教えてくれているわけではないのです。
この夫の優しさを思うだけで、胸が苦しくなり、張り裂けそうになります。
そして、社長は私の父なのです。初めて夫の口から、父の醜態、パワハラなどの話を聞いた瞬間、全身の毛穴が開いて、熱を帯び腹の底から叫びたくなうような、そんな言葉では形容し難い気持ちが溢れ出て来ました。
そして、父親を絶対に許してはいけないと心の底から思いました。

病の足音

夫の仕事がより忙しくなるのが、年末年始です。物流がよく動く季節はどうしても、忙しくなってしまいます。
その年の冬は更に状況が違いました。それは、妻である私が妊娠中だった事です。(妊娠中も、トラブルが絶えなかったのですが、その件についてもいつかお話させていただきたいと考えております)

新しい命を向いいれる準備は、思ったよりも大変です。それは、私より夫の方が苦労もあったのではないでしょうか。
というのも、とにかく激務が続いており、休みは1週間の中でも1日のみしかなく、その1日を使って部屋の模様替えや必要な物の買い出し、私が出来ない事を全てやってくれたのです。
因みに労働時間ですが、朝は6時過ぎに家を出て、6時半から業務を開始し21時ごろまで荷物の配送をしており、休憩時間はありません。1日中動きっぱなしなのです。
家に着く頃には、夕ご飯を食べる気力すら残っていませんでした。
その時、よく口にしていたのが「疲れすぎて、眠れない」という言葉です。
そうこうしている内に、私は出産をし子供と義実家にお世話になっていました。
夫は、仕事の為に休み以外は自宅で過ごし、私がいない分の家事、仕事、を担ってくれ、休日は疲れているのにも関わらず、子供に会いに来てくれました。
この事が余計に負担になったのでしょう。私が、何もしなかったから、夫をこんなに苦しめてしまった。その後悔がいつも付き纏います。
この時、既に病魔は私たちの、否、彼の肩を叩こうとしていました。
どう考えてみても、オーバーワークだったのに…。

耳が痛い!

それは、突然と言っても過言でないタイミングでやって来ました。
2022年冬の事です。夫は、帰宅するなり「左耳が痛い」と言っていました。
どう痛いのか尋ねると、左耳の後ろ側、付け根に沿って激痛が走るというのです。
その日は、金曜日の夜で診察してもらえる様な病院がなかった為、耐えて明日の仕事終わりに、病院へ行こうと決めました。
夜が更けて、痛みは増すようでした。当初、付け根のところが痛いと言っていたのに、いつの間にか耳全体に激痛が走る様になったのです。
深夜、さらに異変が起こりました。夫が「左顔が動かない」というのです。
時間も時間だったので、病院へも行けず、このまま就寝する事にしました。
私たちは不安で眠る事が出来ませんでした。
そして、迎えた朝。絶望しました。

夫が「更に、左顔が動かない」というのです。昨夜は、見てもはっきりとは判断出来ませんでしたが、朝にははっきりとわかる様に、左の顔が動いてないのです。
口角が上がらず、だらんとしている状態で、私が知っている夫の顔とは違う様にも見えました。
それでも、社長は休んで病院へ向かう事を許してはくれず、夫はやらなくてはならない仕事を全て片付け、総合病院へ駆け込みました。

総合病院へ 〜夫視点〜

昨夜から続く、謎の痛みが私を襲いました。突然、左耳の付け根が痛くなる事などなかったはずなのに、この激痛の正体もわからず、原因も検討もつかない。
顔の左半分が動かし難くなってきたことで、恐怖が倍増しました。
急な出来事に、脳が追いついていかなかったです。それこそ、脳梗塞や脳溢血などの病気を疑いましたが、どれも症状が当てはまらない。
スマートフォンで調べてもわからない。でも、一つだけ当てはまったものがあり、緊急性はないと思い明日病院へ行こうと決意しました。
ただ、疲れている筈なのに痛みで眼が覚めてしまうのです。一体、自分の身に何が起こっているのか、まるで検討もつかない事が、恐怖に包まれている様で不愉快に感じました。
そして朝、起きて絶望することになるのです。私の左顔が動いていないからです。
それでも、仕事は休めない。身支度をしようにも、左顔が動かない為に歯磨きをする事も、飲み物を飲むことも、まともに出来ないのです。
事の重大さに気が付いているのは、私だけでした。状況を伝えても社長は、仕事を優先させたのです。私には、初めからわかっていた事でした。
仕事場に着くと、上手く話す事が出来ない私の異変に、気が付いたドライバーが心配をしてくれ声をかけてくれました。皆、顔が動いていない事に驚いていましたが、一番驚いているのは私です。
正直、何かをしてくれるわけではないので、声をかけられてもといったところでしょうか。

通常通り業務をこなし、総合病院へなんとか間に合いました。
医師の診察を待つ間、不安で仕方がなかった事を今でも覚えています。
先生が仰るには、「顔面麻痺」という病気で間違いないとの事でした。
顔もかたまり始めており、すぐにでもステロイドを投与しなくてはいけない。危ない状態でした。
以下医師の話
・顔面麻痺は、1週間かけて更に顔が固まってくる。
・顔が固まり出したら、一刻も早くステロイドを投与した方がいい。
・ステロイドによる治療が遅れれば遅れる程、完治が難しくなったり、後遺症と
 して残ってしまう可能性が高くなる。
・顔面麻痺の疾患者でも、酷い症状の部類に入る。
・すぐにでも治療を始めないとならない。
・即入院して貰いたい。

と、言われました。その日は土曜日で、本当にギリギリでした。間に合ったから良かったものの、もし間に合わなかったら日曜と祝日明けの火曜日まで、全く治療を受ける事が出来ないかもしれなかったのです。
先生から話を聞いて、ゾッとしました。背筋が凍るとは、よく言いますが、本当に背筋の凍る様な思いでした。

そして、本当だったら即入院させなければいけないレベルの状態でした。というのも、ステロイドを大量に投与しなくてはならず、その際免疫力が下がってしまう。免疫が下がった状態で、他の病気や特に新型コロナウィルスにかかってしまうと死んでしまう可能性がある。
それを避ける為にも、入院は必要だと言われました。しかし、コロナが猛威を振るっている時期で、満床。空き次第、即入院となりましたが、結局空くことも無く、入院する事が出来ませんでした。
先生には、申し訳ないと言われましたが、コロナで世界中が混乱しています。仕方がないと、諦める他ありませんでした。
先生に早速、ステロイドを投与して頂き、休日はステロイドの投与が出来ない為に飲み薬として出して貰い、細かい管理の説明を受けました。

決まった時間に、決まった間隔をあけて飲むことで、同じような治療を受ける為です。この自分で管理しないといけない時間も、ストレスでしたが、顔が固まっていく感覚の方が怖くてたまりませんでした。
次は休み明けから、治療の為に2週間は毎日通院し、ステロイドの点滴を2時間かけて、投与する事になります。ステロイドの点滴は、投与する量が多い場合に行われるそうで、決まった量の投与が終わればステロイドの飲み薬を服用しなければならないのです。そして、適正量がある為、治らなくても投与が終われば後はリハビリでどうにかするしかないと、言われました。
このまま、治らないのではないか?本当に治るのか?この様な事が、頭を占拠し不安と恐怖で何度も押しつぶされそうになりました。
そして、休み明けからステロイドの点滴を投与する為に病院へ。コロナ禍真っ只中で、病院へ通うだけで相当な気を使いました。家には、12月に生まれたばかりの子供が居たからです。不安しかありませんでした。
仕事の事を考えると、更に苦痛になります。あの社長は一体どんな無茶苦茶な要求をしてくるだろうかと…。

顔面麻痺の弊害と私達が行った事

顔面麻痺は、顔面神経が麻痺して顔面の半分のどちらかが、意のままに動かす事が出来なくなる病気です。夫は、左半分が全く動かなくなりました。
医師から、1週間かけてどんどん固まっていくと説明を受けていましたが、本当にその通りでした。発症してから、1週間後に酷くなる様は見ているだけでも、辛かったです。(もちろん、一番辛いのは夫ですが)

顔半分が動かないと、眼を閉じる事も出来なくなります。また、口角も下がって動かない為に飲み物が飲めない、食べ物が食べ難いなどの弊害を伴います。
また、顔半分を動かす事が出来ない為、見た目も悪く感じ、人間関係にも支障をきたす事もある病気です。
夫の場合も、上記したように飲み物や食べ物が上手く受け付けてくれず、食事する度に途方に暮れていました。また、眼を閉じる事も出来なくなり、目薬を何度もさして凌いでいました。そのままだと、眠りにつくことも難しくなります。
その為、寝る時は必ず医療用のテープを貼って、強制的に眼を閉じさせなくてはなりませんでした。

ステロイドは、かなり強い薬です。もちろん効果もあるのですが、しっかりとした管理の下で、投与されないといけません。本来だったら入院しなければならなかったのですが、新型コロナウィルスの影響で満床になっており、ベットが空くまで通院する事になりました。
これも、相当な時間を要しストレスとなっていたみたいです。というのも、総合病院でお世話になっていたので、発熱外来がありコロナに感染してしまったと思われる方もいて、もしコロナに感染したら命の危険もあると言われている夫には、恐怖以外の何ものでもなかったのです。
結果論ですが、夫が通院している時期に入院病棟で、クラスターが発生してしまったので、入院しなくて良かったのです。それでも驚異が去ったわけではなかったので、私と子供が感染して夫に移す事のないように衛生管理を徹底しました。

上記でも軽く触れていますが、飲食がかなり難しくなるので、食べるものにも気をつけていました。なるべく夫が食べたいと思うものを用意する事と、柔らかくて食べやすいものを作るようにしていました。
主に、電気圧力鍋を使い調理をする事でこれらの問題は、大して問題とは言えなくなりました。もし、顔面麻痺で食べ物に悩んでいる方がいらっしゃいましたら、電気圧力鍋で調理する事をお勧めしたいです。
あと、一番気を付けたのが、私自身がマイナス思考にならない事です。元来、夫は明るく穏やかな性格でした。お話も上手で、博識で私にないものを持っている素晴らしい夫です。そんな夫は、病気を発症してから人柄が変わってしまったかの様に落ち込んで、臥せる事も少なくありませんでした。
そんな時、私までマイナス思考になってはいけないと、心を奮い立たせ、なるべく笑顔で過ごそうと私なりに努力しました。
正直、生まれたばかりの子供と、病魔と戦う夫と私の3人で何ができるのか、と不安で仕方がありませんでした。でも、私がずっと悩んでも仕方ない。心を奮い立たせる日々が続きました。それがどうにかなっていたのかを考えてしまうと、イマイチ不明ではありますが…。

夫の診断と父の判断

発症した日の朝、夫が仕事に出るとすぐに父に電話しました。娘の夫の緊急事態です。流石にどうにかして貰えると思い、藁にもすがる思いでした。
「夫の顔が、昨夜から動かない。何か大変な病気になってしまったかもしれない。」そう告げたら、父は「早く病院に行かせたいが、仕事があるから無理だ」
とだけ言い、電話を切りました。

思っても見なかった反応に驚きすぎて、何も言い返す事が出来ませんでした。
この男はどこまで人をコケにすれば気が済むのだろう。
電話を切られてしまい、それ以上は話さないという姿勢なのでしょう。
その後、私の電話には全く出る事もなかったです。
私は、夫からの電話を待つしかありませんでした。しかも、まだ産まれたばかりの娘も居るし、大病だったらどうしよう。どうしようもない不安が、頭の中を駆け巡り、居ても立っても居られません。

夫から連絡が来たのは、総合病院へ行き、3時間程たった頃でした。
聞かされた病の名は、「顔面麻痺」。思った以上の大病に、言葉を失いました。
しかも完治するかわからない状態で、仕事も子育ても、どうしていけばいいのか途方にくれました。
でも、私は社長の娘。抗議する資格はある。急いで、父に状況説明も兼ねた抗議の電話をしました。
その電話で、暫く出勤できない事を伝え、先程の事を抗議するも、暖簾に手押し状態で、まともに取り合ってすらくれませんでした。
本当だったら、朝早くから病院へ行かせるべきだったのに。あなたのご判断で、もっと最悪な状況になる所だった。責任取れないのに、無責任な事をするな。と詰めるも、無駄な事でした。この人に何を言っても無駄なんだと、呆れました。

この病気になった事を皮切りに、父と対決していく事になります。
2023年6月現在、幸いにも、多少の後遺症は残るものの順調に回復しています。
その際のプロセスなど、もう一つのお話「馬鹿に付ける薬はない」にて、執筆させていただいているので、こちらでは内容重複の為割愛とさせて頂きました。
お時間がある時に読んで頂けたら幸いです。


あとがき

ここまで、お読み下さり誠にありがとうございます。
今回は、顔面麻痺に疾患した時の状況や説明などを書かさせていただけました。
この話は、実際に起きたことであり、決してフィクションではございません。
ですので、まだまだ話はあるのですが詳しく書いてはいけない事もあります。
私としては、全てを包み隠さず、皆様にお話したいと考えておりますが、まだ時期尚早な事柄もございます。そちらの方も少しづつ執筆できたらなと思っております。
まだ、戦いは終わっておりません。私と夫の戦いはまだ続きます。
どうか、皆様のお力をお貸しください。1人でも多くの方に読んでいただき、パワハラで苦しんでいる方の、光になれたら幸いです。
応援していただけると、嬉しいです!



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