見出し画像

やってて良かった「そろタッチ」

親として子供にできること

小学校の幼馴染の友人の結婚式に出席した。25年以上前のことであるが、登下校も一緒、休日も同じ野球チームで汗を流した仲である。世の中的には晩婚と言われる年齢になったが、ようやく素敵なパートナーを見つけたこと、幸せそうな顔、そしてそれを見守るご両親の姿に胸がいっぱいになった。

お父さんは、僕らの野球チームのコーチでもあった。何かにつけてケツバットを命じることから、鬼コーチとして恐れられていた。当時40代だったコーチも今や70代、当然見た目は老けたなと思うこともあったが、式途中の、その父親からのスピーチに心を打たれた。

「仕事一筋の人生の中で家族と過ごす時間も限られていました。そんな中で、息子との距離が近づいたのは、野球を一緒にやるようになってからです。毎週末に練習にコーチとして参加し、毎晩、素振りに寄り添い、上手くなるためにどうしたらいいか話合いました。あの時があったから、私は今も息子と仲が良いですし、息子も大切に育てられたと思ってくれているはずです」

野球チームに所属していた人は、彼も私も含め、甲子園に行くこともなかったし、ましてやプロとして飯を食っていくレベルに達することなんてなかった。彼が毎日やっていた素振りも、親が時間を割いて付き合ってくれた時間も、僕らの野球の実績ということでは、あまり効果がなかったかもしれない。

しかし、親として子供に同じ目標を持ち、子供の成長に寄り添い、信じて一緒に取り組む時間は、長い年月を経ても色褪せないものなのだ。結果は置いておいて、これこそが親が子供にできることなのではないだろうか。

我が家にとっての「そろタッチ」

さて、私は子供達に何ができているだろうか?働いて給料をもらい、家を借りて生活を成り立たせ、やりたい習い事には通わせてあげて、旅行にも連れて行っている。人並みのことはやってあげているつもりだ。しかし、子供たちと一緒に何かに取り組んだ、子供たちに寄り添ったということでは「そろタッチ」である。

毎日のミッションに取り組むこと、時にはできなくて悔しくて泣いてしまうこと、グランプリやそろフェスという大会に出場しては、結果が出ずにもう嫌だとなってしまうこと、それでも次の日にはまたミッションに取り組んでいること。

娘は6歳から8歳まで、息子は5歳から7歳まで一緒にそんな日々を一緒に送った。もちろん、最初は学力向上、能力開発の観点からそろタッチの素晴らしさに気づいたからだ。

しかし、友人の父親のスピーチを聞いてから、また違った感覚を覚えている。将来に生かされる暗算能力を得られたのはもちろんだが、それよりも、「そろタッチ」という言葉を家族の中で、何度もみんなが発し、ミッションクリアした、銀メダルだった、ステージクリアした!など、一緒に一喜一憂したこと、このことに価値があるのではと思い始めている。

結婚式でそろタッチについて触れるかどうかはわからないが、子供たちが大切に育てられているというのは、この数年間のそろタッチプロジェクトを通して、感じてくれているはずだ。

子供たちにはそろタッチで培った学力や能力もその後も受験や、職業選択に活かしてほしいと思うし、その可能性は存分にあると思う。しかし、出来の悪かった私たちの野球のように目立った実績がないかもしれない。

それでも良い。一緒に取り組んだかけがえのない日々は色褪せない。

ありがとう、そろタッチ!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?