見出し画像

【備忘録】名前は大事

・・という命題のもと、下記の仮説を持って日々の生活、仕事で考察するためのネタ帳です。修正、追記、削除等は筆者が勝手にやってます。ご了承ください。

■仮説

・名前で行動はデザインされる

名前は人間の思考の基礎としてとても重要です。付けられた名前によって、その対象の見方、考え方、扱い方に少なからず影響があります。適切な名前を付けることで、命名した本人のみならず、他者がその対象をどう扱うかをデザインすることができるのです。事物の抽象化を経て、そぎ落とされた結果で概念化され、まさに、「そう言うモノ」として認知し、分別されるモノが名前であるといえます。

■雑感

・AIは名前を使うか

多分、使わないんじゃないかと。使うにしても、人間のような思考の基礎としてではなく、彼らにとってはデータの一部でしかないでしょう。

人間には、言葉を使うがための思考の規則や制約があります。そのしがらみに捕らわれないことで、AIが持つ認知の技術、広がりや深さが、カエル跳びで勢いよく人間を飛び越しても不思議ではありません。

単に仕事を奪われることよりも、AIの「見方」「考え方」が我々人間の認知方法とかけ離れてしまい、「分からない」ことが問題です。AIや製作者が人間の理解できる言葉、名前、概念を使って、「説明責任」に対して悪意なく真摯に取り組んでくれることを祈るばかりです。

まぁ、そのためには「心」や「身体性」など、対極にあるアナログな世界をAIにどりだけ取り込めるかが鍵ではないでしょうか。しかし、いよいよそうなれば、人間はコントロールされる側になるかもしれないジレンマを抱えてしまいますが・・・。

■メモ、コピペ

・名詮自性

仏教用語。名は、そのものがもっている本来の性質を表すということ。名に自性が備わるという意味。「詮」は、備わることで、「自性」は、本来もっている性質のこと。「名は体をあらわす」

・名(な)の名とすべきは、常の名に非ず。

老子。第一章。道(みち)の道とすべきは、常(つね)の道に非(あら)ず。名(な)の名とすべきは、常の名に非ず。名無きは天地(てんち)の始め、名有るは万物(ばんぶつ)の母。

これが「道」だと言い表せる様な道は、偉大なる不朽の道ではない。これが「名」だと呼べる様な名は、真実不変の名ではない。天地が創られた時には名など存在せず、万物が生み出された後にそれらは名づけられた。

・抽象化

抽象化とは、思考における手法のひとつで、対象から注目すべき要素を重点的に抜き出して他は捨て去る方法。これによって、具体的事物の詳細が隠蔽されると同時に、全体を俯瞰できるようになる。

単に曖昧にすることではなく、複数の物事が持つ固有の枠を超えて一般化すること。一段高いところから事象全体を見渡して共通の要素を取り出し、多くの情報の中から枝葉末節を削ぎ落とし、物事の本質を浮かび上がらせ、一つの概念にまとめる。

受け取る側の能力に関わらず事象の大枠や本質が理解しやすくなるため、多くの人と容易に情報を共有でき、行動の動機付けもしやすくなるというメリットがある。

 一方、事象にはまず個々の物事があり、それぞれに固有の要素が存在するが、これらを一つの概念にまとめてしまうと、各要素への意識が薄れがちになる。個々の物事に対する認識や最適な手法などを、一般化した内容に変容させてしまうため、思い込みや事象の相関関係の誤認識が生じやすくなり、間違った判断や意図しない結果につながる可能性も出てくる。

・語源論

ソクラテス。
・「名前」は「事物の本性」によって定まっているのであり、「名前」を定める(「名付ける」)ことは、誰にでもできるつまらない仕事」ではなく、「事物の本性」によって定まっている「名前」を「手本」として眺め、その形を「文字」や「綴り」の中に入れることができる者のみが可能である。

・「名前」すらまだ存在せず、「名前」によって学習・発見することもできない段階で、「最初の名前」の命名者は「対象事物それ自体」から(直接的に)学ぶしかない。

・もし「名前」を定めた人(命名者)の「対象事物」に対する認識が誤っていたら、「名前」に欺かれる。

・真の名前

アメリカ先住民の信仰。すべての人物・事物には真の名前があり、その名前を知るものはそれを支配することができる。自分の真の名前を秘密にして、家族など本当に信頼できる人にしか打ち明けず、対外的にはあだ名を用意してそちらを使う。

・認識者の主観的活動

名詞の本質は、対象を認知領域における類(たぐい、まとまり)として把握して表現するという、認識者の側の主観的活動に存する。形容詞と動詞は、ある実体と他の要素との間の関係を表す要素であり、その実体を主語とする叙述構造を構成する。

文がその中核に叙述構造を持つというのは、世界の中の様々な事象を認識するときに、諸要素とその繋がりという形で捉えていくという特性に基づいているからである。それは、人間の眼には世界のあり方そのものが正にそのような構造として映っているということだ。文という単位を表現の基本とし、典型的な文の中核に叙述構造を持っているのは、このような人間の認識活動の普遍性に基づく。

・連続と離散

連続的な対象とは、どこまで分割をしてもそれ自身の性質を失わないようなモノ。一方で、離散的な対象とは、分割をしていくとその対象がその対象らしさを失ってしまうようなモノ。

連続と離散の区別は対象そのものに内在する性質ではない。認識の作用によるものであって、特に、対象に何らかの名前をつけると、途端にその対象は離散性を獲得する。本来は分割不可能である対象であっても、言語によって記述しようとするとき、その対象は離散性を帯びるようになる。

・名前空間

技術用語(プログラミング、EメールアドレスやURIなど)。名前の集合を分割することで名前の衝突の可能性を低減しつつ参照を容易にする概念。名前に結び付けられる実体は、名前がそれぞれどの集合(空間)に属するか指定されることで一意に定まる。名前空間が異なれば同じ名前でも別の実体に対応付けられる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?