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工業高校からI.C.U.へ

工業高校からI.C.U.へ

 1960年代の終わり、当時の大学は学生運動が盛んな頃で、そんな学生運動ばかりやってる大学には行きなく無いと親に言って、僕は工業高校の建築科に進むことに決めた。

   元々絵を描くのが好きだったので、建築パースを描きに行くくらいの気持ちで都立の蔵前工業の建築家に進んだ。

 建築史の授業で知った芸術運動、バウハウスの事を調べるうちに哲学に興味を持ち、ラッセル卿の哲学入門書などを原書で読むようになっていた。

 英語は中学生の時に独学で文法を学び、ビートルズの歌詞を翻訳したりしていた僕は辞書を片手に自力で読んでいた。

 高校3年生になると周りの友人たちは就職するので勉強はせず、遊び呆けていたが、この頃僕は大学に行って哲学を学びたいと思うようになっていた。

 しかし、工業高校なので大学受験の勉強などは一切してくれなかったので、僕は浪人することに決め、卒業後は駿台予備校の国立コースに通った。

 当時は後に女優としてデビューする檀ふみが同じコースにいた。授業はどれもつまらなく、原書を読んでいた僕には物足りない授業ばかりだった。

 バンド活動にも興味があった僕は雑誌で見かけたリードギタリスト募集に応募していた。
 
 
 


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