見出し画像

ころがるえんぴつ/某コピーライターの独立とかの話_04

第4話/2007年4月中旬:無職の職業病。あるいはプロ意識の残滓。


「だーかーらー、担当業務の列記から、なんで急に“です・ます”調の説明文に変わっちゃうんだよ。こういうときは体言止め!わかる?名詞で言い切って止めるの。箇条書きもマトモにできないのかよ」
 ある晩、犬養の自宅に招かれた僕は、犬養を赤ペンで小突いていた。プライドの高い犬養が無抵抗で僕に小突かれている状況は、悪くない気分だった。いや、かなり気分が良かった。面白い。痛快だ。無職になって以来、ダントツでテンションが上がっていた。

「あ、そこは後でなおすつもりだったんだよ。うん…」
 犬養は取り繕うように言う。
「うっせー!黙れ。お前はいつもそうなんだよ。言い訳の前に人の話を聞け!」

 犬養はまだ何か言いたそうだったが、
「そうだよ。モリテツくんの言うとおり」と、うれしそうにお茶を運んできた年上の奥様に遮られ、うつむいてしまった。
 学生時代からフリーランスで、副業的に契約社員生活に移行していった犬養には、まともな就職活動経験がない。つまり、履歴書もエントリーシートも、ほとんどつくった経験がないのだ。

「ちょっと、就職する方向で動き出しててね。転職経験豊富なてっちゃんに書類の書き方とか、ちょっと相談に乗って欲しいんだよね」

 そんな電話を受け、とにかく当面はK氏からもらった例の仕事以外、やることもなかったので、ふらりと遊びに行ったのだ。
 で、既に書かれていた書類を見て、僕は愕然とした。“てにおは”が狂っている。文法的におかしな文章が多い。箇条書きに、短い単語と、長尺な文章が混ざって列記され、インデントも揃っていない。言っちゃ悪いが、相当にひどかった。ちょっと器用な中学生でもできそうなことが、全然できていない。最初は添削程度で済むと思い、赤ペンのキャップを外して書類に向かったのだが、ものの数分で添削を諦め、キャップを付け直し、犬養のこめかみを小突きはじめた。

「……犬養よ、ちょっと危機感を持ってみようか」
「……はい」
「モリテツくん、悪いわねえー」
 奥様はなんだかうれしそうだった。
 よくある事だが、普段、自分のパートナーに直接言いづらいことをズバズバ言ってくれる第三者というのは、往々にして歓迎されるようだ。学生時代、友人カップルと電車に乗っていて、何の気も無しに男の方に「お前さあ、ズボンとTシャツが両方ベージュってのはどうかと思うぞ」と言ったら、彼女の方が「そう!そうよ!もっと言ってやって!!」と身を乗り出してきたことがあったが、まあ、そんなものなのだろう。
 とにもかくにも、人間は、自分より立場の弱い人間が目の前にいると、途端に元気になるという、非常に情けない側面があるのだと思う。僕は、盟友のふがいなさを受け、なんだかサディスティックにテンションを上げていった。それとは別に、書類、つまりは「言葉の集合体」を添削したり、整理したり、再構築していく事に対し、身体が素直に追従していく心地よさを感じていた。

しかし、「心地よい……?」そう感じている自分を発見するや否や、気分は突然曇りはじめるのだ。「もう、そこには戻らない」。そう決めたはずではないのか。そんな後ろ向きな自制心が頭をもたげたが、いかんせん時刻は既に午前3時を過ぎており、もはや、そう言った自分の面倒くさい側面を見つめ直し、検証していく集中力は残されていない。そうなると、もう、自ずと気持ちがいい方に流されていく。

「どーせ、文章を書こうとしたって、むやみに長くなってボロが出るんだから、簡潔な箇条書きの方がいいんだ。まず、お前は、箇条書きの技術を覚えろ。大項目の後は、改行して、1マス空ける。で、ナカグロ(・)とかを頭につけて、列記する項目を入れる!」
 鬼教官と化した僕は、明け方まで怒鳴り続けていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?