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人を巻き込む(な)


先日ブログに書いたものですが、いろいろ反響をもらったのでこっちにも載せてみます。

ブログの記事を丸々引用する理由として上記は半分くらい本当ですが、残り半分の理由は、今日、朝っぱらからTwitter乗っ取られて元気がないからです。。

※すでに火消し済み。お騒がせしてしまった皆さん、すみませんでした





新卒で会社に入ったりするとよく言われる言葉に、「人を巻き込む力」というのがあります。

もちろんこれはポジティブな意味であって、ざっくり言うと、自然と人が寄ってくるような人間になれ、というような意味合いです。


「人を巻き込む」というワードだけで言ったらネガティブな意味になりうる場合もあって、関係ない人に迷惑をかけるというような意味合いで使われる場合がそれです。

前者の意味と決定的に違うのは、有無を言わさず強制的に連行するみたいなニュアンスが含まれているところ。


ネガティブで人を巻き込む人は、寂しいのだと思います。寂しさに耐えきれなくなった結果、他人の迷惑を顧みず巻き込んでしまうという。

寂しいから誰かにそばにいてほしいというのなら、強制連行は、やり方として間違ってます。

悟空が、「オラに元気を ... ... 分けろっつってんだろバカ野郎この野郎。さっさとしやがれ!」とみんなのケツ叩いてるかのような。


悟空には、ポジティブに人(というか、この場合、ミスターサタン?)を巻き込む力があったから、みんなが元気を分けてくれた。

でもその力が自分にないと絶望している人は、強制連行の発想になるんでしょう。


強制連行なんてしなくても、自分に人を巻き込む力がないなら、巻き込まれる側になったっていいと思うわけです。

そばに誰かがいること、をゴールにするなら、巻き込む側も巻き込まれる側も同じじゃないですか。


医師を目指していたが成績が伸びずに悩んだというのなら、医師を目指すのをやめたってよかった。

経験が少ないと、他に選択肢があるという可能性に気が付けない場合も多いだろうから、医師を目指している人に対してそれを(しかも自分の意志によって)諦めろというのは酷な気もしますが


もし彼が自分の中にある他の可能性に気が付くことができていたなら、他の人の人生にも同じように何らかの可能性があることにも自然と気が付くはずで、それに気づいたなら他人を傷つけようという発想は生まれてきにくかったはずなのです。


つまり自分を大事にするということは他人を大事にすることにもつながる、ということです。



最近は残念な事件が多いけど、そうなるに至った過程を理解できないではないケースも多く(共感はしないけど)、それだけに遣る瀬無さも覚えるし、息苦しさを感じる時代であることは確かですね。

みなさまの支えのおかげで今日を生きております。いつもありがとうございます。