ソフトウェア開発201の鉄則 原理126:コーディング:エラーを個人のものにするな

要旨

* ソフトウェア開発というものは、本来は、人類未踏の「詳細さ」「完璧さ」を求める行動である
* なので、(間違いがつきものの人間である)開発者は、完璧さを求めるのではなく、エラーが発生することを前提に、継続的な改善ができるように努力すべきである
* そのためには、エラーが発生したら、それを隠すことなく、オープンにして皆で共有しよう
* それは開発者全員の知見に繋がり、継続的な改善の工場に繋がる

解説

この原理、二つ、大事なことを言っている。

1. 間違いが一つもない、完璧さを求めるのではなく、間違いがあっても継続的に改善できる方向を目指すべきだ

どこかの原理にあったが、実は、「完璧である」ことの証明は、不可能。いくらやっても、完璧らしい確率が上がるかもしれないが、絶対に間違いない、という状態には、決してならない。

であるならば、完璧であることを目指すより、エラーが起きたときに素早く対処できるようにしたほうが、ずっと現実的。なので、それを目指しましょう、ということ。

そういわれたら、ちょっとだけ難易度が下がったように聞こえるかもしれない。そう、それでいい。間違ってもいい、のだ。

2. 間違いがあったらオープンにして皆で共有しよう

これは、難しい。自分がエラーを発生させたら、まず、「恥ずかしい」というのが先に立つだろう。

人間である以上、至極全うな心境だ。だから世の中、隠蔽、ということが起きる。

しかし、そこは乗り越えないといけない。

「恥ずかしい」という感情を「公開して皆の知見や経験獲得に貢献すること」が上回れば、きっと乗り越えられるだろう。

自分がやった一番恥ずかしいミスは、API として公開した関数名単語の綴りミス。

"recursive" を何かに間違えて、公開しちゃったので修正もできず、しばらくは恥ずかしさで針のむしろだった記憶がある。

これだって、「コーディング時には綴りには十分注意せよ」という教訓が得られる。

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