風の時代といわれても
自分を軸に生きている人、
他人を軸に生きている人、
情報、星、自然、植物 人以外のものを軸に生きてる人
最近ツイッターを始めたおかげで、色んな人の声に触れる機会が多くなって、視野を広げた分当然ながら気持ちのザワつきも増す。特にこのコロナ渦、ザワつきのネタが多くてさ。
人間だから意見の相違は当たり前、違っていても説得はしないし、知らない相手に一言物申す必要もないのだけれど、ザワつきが残るなと思った時
私は心の中でこう唱える。
この人は違う星から来たんだな。
だから気持ちが違うんだな と。
そう唱えると 人間同士の分かり合えなさを平和的に終了させられるということに気がついたんだ。
2021年を迎え、風の時代が来たと言う。風の時代と調べると簡単に出てくるので詳しい説明はしないけれど、この話題に触れた時に心がザラッとするのはなんでだろう。
今までは同じ場所でコツコツと積み上げていく土の時代で、
これからの時代は新しい価値観を受け入れてすんなりと風のように自由に自分軸で立ち回れる人というのが生きやすいらしい。
風の時代は努力しない時代、頑張らなくていい時代なんだって。VoicyでMさんもそんなことを言っていた。なんじゃそりゃだ。びっくりだ。
そんな時代があっていいのか!と思った。
頑張らなくちゃいけないときってないですか。
わたしには沢山ある。子育ても仕事も、頑張ろうと思う瞬間や山があって、そんな時に「そんな頑張らなくていいんじゃない?」という言葉を聞いてしまったら、気持ちが萎えそうになる。
私はどうも「頑張らなくていい」という言葉が苦手らしい。逆の「頑張れよ」という言葉が嫌だと思う人も沢山いるだろう。「頑張らなくていい」と「頑張れよ」は、私は極力言わない。
自分自身以外には。
頑張らない星から来た人は、そのマインドが自然体で、自身を煌かせる方法なんだろう。それはそれでとても素敵なことだ。自分を煌かせる方法を分かっているって最高で最強。
でも私は頑張りたい星の人。「そんな頑張らなくていいんじゃない?」という言葉で頑張りたい人の気持ちを削がないでほしいんだ。煌めく方法は人それぞれだから。
「そんな頑張らなくちゃいけないなら、代わりにやっておくよ」ならば、あぁ!救世主ありがとう!とおもうんだけど、「そんな頑張らなくていいよ」っていうだけの言葉には何の説得力も感じない。
言葉には責任が伴うのよ。
対象的な人間像の背景にあるこの言葉を、「今は風の時代だから頑張らなくていいんだって」と言われる事になんだかウンザリするんだ。
そんな事言って頭カチカチに固い奴だなって自分でも思う。どうやら私は土の時代らしい。友人は私を風の人だねー!と言うのだけれど、全然違うみたいだよ。優しい風は吹かせられそうにないや。
手織りって、コツコツタイプの人にしか習得出来ない技術だ。
工程を一つ省いてしまったら布にはならない。
染める時、糸を織り機にかけるとき、織る時、手順があって一段一段階段を登るように完成が近づく。
仕事にするなら尚更、毎日毎日修行みたいなことの繰り返しで、手をかけ、時間をかけ、コツコツ積み上げる工程に価値や魅力がある世界。
禅語に、『白珪尚可磨(はっけいなおみがくべし)』という言葉がある。
(すでに高貴で美しい玉もまだまだ磨く余地があり、更に磨くことでいよいよ清らかなものとなると言う意味)
言葉の通りそうやって昔から人々は良い方向に進む工夫や努力を重ねて、バトンを受け継ぎ発展させてきた。伝統工芸が良い例だ。
私はまだまだ未熟者ではあるけれども、そのバトンを受け取った気持ちで手織りという道を精進したい。そして手織りの世界がどんどん新しく面白くなるように、次の世代にバトンを渡したいと思う。
何者かになりたくて、脳みそ絞って体を使い、時にはバタバタと頑張っている人が私は好きだ。
こんな世の中どうせクソみたいなもんだから、自分に与えられた使命を果たせるだけ果たして、燃やして燃やしきって、さっさと命を全うするぜ くらいの人間が好きなんだ。優しい風が吹く世界にも、そんな人間がいたっていいでしょ?
一つの時代の終わりは、何かの価値観が淘汰していく事ではなくて、
新しい時代の始まりとは新しい価値観を受け入れて認め合おうって事なんだなぁと思う今日この頃。
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今回も読んでくれて有難うございます。
2021年の最初の投稿は、今年の目標について書こうと思っていました。なのに目標が思い浮かばなかったのです。昨年、思い立ったらすぐに行動するというのを心がけていたせいで、あえて新年に1年の目標を掲げる必要がなくなってしまったようです。なので風の時代について思うことを書きました。こんな毒にも薬にもならないような話しばかりのnoteではありますが、今年もどうぞ宜しくお願いします!
それではまた書きますね。