人の記憶に残る布
母へ。
今日のあなたはどんな服を着て、どんな顔で笑い、どんな人や動物と夜を過ごすのでしょう。
あなたとはもう繋がっていない毎日を1日1日重ねて暮らし、私はもうすぐ40になります。
覚えている記憶はとても少ないけれど、あなたも布やミシンが好きだったことをよく覚えています _
産んでくれた母とはもう随分長いこと会っていない。
小学低学年の頃、数年間一緒に暮らしたのが最後。
最後に作ってくれた薄いグリーンのワンピースを鮮明に覚えている。
他にもイタリア製の高そうなソファーにはファンシーな牛柄模様の手作りカバーが、モダンでかっこいい青い電話には、なぜかひらひらの白いレースのカバーが掛けられていた。
私はそれらのセンスが嫌いだったけれど、
背中を丸めて作っている母の姿は好きだった。
この40年振り返ると、私が鮮明に覚えている記憶はいつも布や柄や、服。
正直母の笑顔なんて1種類しか思い出せないのにね。
記憶の片隅にある、布。
写真の隅っこに写っている布。
私はその布に思いを巡らせるのがとても好きだ。
この写真に写っているセーター、
おばあちゃんの手編みだったよな
このワンピース、すごく気に入ってたから裾直しを何回もしてもらって長いこと着たんだよな。
最後はおじいちゃんのパンツになったんだっけ。
あぁ、おばあちゃん、このセーターの形何枚も持ってたな。そうそう、なぜかドアノブにもフリフリレースのカバーついてたっけ。カバーのせいで滑るドアノブ。
あれは一体なんで存在してたんだろう。
好きだった服、好きだった布、
部屋に写っているインテリアの布、
どんなに昔のことでも、どんなに写真が色褪せても、思い出の人のそばには布があって、人と一緒に思い出すことができる。
人の記憶に残る布を作ること。これは私の一番の夢。
お母さんってさ、いっつもあのショール巻いてたよね って、どこかの家族に言われるような布を作ること。
誰かの記憶の中に、私の布を残せた。
染織家として、この言葉は最高の喜び。
どんなに繊細で緻密な技術の高い織物が出来たとしても、誰かの記憶に残らない布だったら意味がないとさえ思う。
布は使ってもらってこそ輝く。
その人の心地よさと人生に寄り添える布というのは、結局のところずーっと後にならないと分からない。
以前、ショールを買ってくださったお客様がとても気に入ってくれて、孫の代まで引き継ぎますと仰っていた。
その言葉はとても嬉しくて、今でも宝物みたいに大事に胸にしまってる。
今もあの布は1年1年思い出を紡ぎ続けているかな?
あの赤いショール元気に活躍してるかな?
母との間に思い残すことはもうないけれど、
もしも最後に伝えられるとしたら、布とミシン好きの血を分けてくれてありがとうとだけ伝えたい。
最後に別れた時は、何者でもなかったただの子どもだったけれど。
今日も受け継いだ血に感謝して、布を織ってるよって。
今回も読んで下さり有難うございます。
今回は小さかった頃の写真を眺めながら書きました。
生き別れた母を想うと私は切なくなるのですが、原稿を書いているとき飼い猫のウメちゃんがそっと隣に居てくれました。
猫の小さな温もりを感じながら今日は終わりたいと思います。
それでは、また 会いましょう。