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ピンクは誰のもの?色がもたらすジェンダーバイアス

オリンピックのこと。
みんな、一人のおじいちゃんに怒っている。

私はさ、そんなにちゃんと生きてこなかったよ。
いつも 人のフリ見て我がふり直せで、
学ぶことの方が多くて。
あなたはどう?

今、ピンクのショールを織っている。春の日差しみたいな柔らかいピンクが好きで毎年春になるとピンクをテーマに作る。

半年くらい前だっただろうか。「ピンクは誰のもの?」というテーマでジェンダーバイアスをみんなで考ようというイベントに参加した。
ピンクがもたらすバイアス(偏見)…

さらっと説明すると、

ピンクは女性らしさの象徴とも言われている色で、
男性が選択するには少々勇気がいる。
私達は無意識にピンクは女性らしい色と思い込んでいるのは何故なんだろうか。
性別関係なく、誰もがピンクを選択する自由をもっているはずなのに。

ジェンダーバイアス=男女の役割について固定的な観念を持つこと

もっと幅広く書けば、女性は低賃金で当然、男は大黒柱、女性は家事をし子育てをする。女性は全身の毛を隅々まで手入れするのが当たり前で、料理が上手、など。

巡らせてみれば、ジェンダーバイアスに当てはまることって沢山ある。

ピンクは誰のものでもなくて、
いや、ピンクに限らず人は多くを自由に選んでいいはず。

だから私は、自分の作品から「女性らしいピンクです、〜な女性におすすめです」という表記を商品説明から使うのを一切やめた。
シンプルに「これ好きだな」と思った人が選ぶのが一番いいなと思ったから、限定的とも思える表現を使うのをやめた。

女はピンク、男はブルー
何となくそう思っているのは、教育のせいでもあるしテレビ番組のせいでもあると思う。
モモレンジャーはピンクだしね。昭和生まれの私、その流れのまま生きてしまったんだと思う。

ステキなものを選ぶ時間は誰だって楽しいし、私達には多くのことを自由に選ぶ権利がある。
もう一度その事を深く考えた時、
私に出来ることはまず、生産者として動くこと。あれ?これ変だなに反応して考える。小さなことかもしれないけれど、積み重ねていくことには意味がある。
生産者としてジェンダーバイアスを考えることは、
購入者側の、選択の自由につながるということ。それは大きくみたら人の自由に繋がっていく。

私は対象は女性だけなんてこれっぽっちも思っていなかった。無意識に限定的になる表現を使っていた事に気が付けて、イベントに参加出来たことは本当によい機会だった。

そして、オリンピックが騒がしい。
女性差別発言、豚問題。
驚きと不快さ、日本の危機感すら感じる。
失敗してしまった本人たちは、連日叩かれ、失速するまで叩かれ、引きずり降ろされ、その一部始終を国民は見ている。

本当に残念な発言で決して許されることではない。でもその苛立ちや不快さは本当の所、自分にも向いているのだと気がつく。

大きくても小さくても、誰もが無意識に持っているバイアス(偏見)。全てが正しい人なんていない。胸に手を当ててみたら、自分自身の中にも思い当たることはきっとある。
だからハッシュタグだけでは世界は変われない。
この問題はみんな自身の中にあるから。

みんな、いつも誰かに怒っている。
私はさ、そんなにちゃんと生きてこなかったよ。
いつも 人のフリ見て我がふり直せで、
学ぶことの方が多くて。
いつも静かに反省してる。

あなたはどう?



アンコンシャスバイアス、ジェンダーバイアスそんなワードをよく耳にするようになりました。色んな選択肢が認められる時代に変わろうとしている今、私が出来ることって何だろうと思って書きました。感想やコメントありましたらインスタグラムまたはDMまで頂けたら嬉しいです。


布を作ることしか能力がない私が、こうして文を書き、毎回読んでくれる人がいる。画面の前のあなたに感謝です。素通りせずに最後まで読んで下さり、ありがとうございました(^^)

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ろっか えんどう 糸を染め織る人
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