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その縫代にプライドはあるか

私は小さい頃、親から離れ祖父母に育ててもらった。祖母はいつも真面目で、贅沢は敵、決して明るい性格ではなく自分に正直で無理をしない人だった。5歳のおかっぱだった私は、いつも祖母の作った変な柄の服を着ていて、観ても良い番組はNHKとドラえもん、私の性格も難ありで友達もいなかった。毎日 家中の人間達に、静かにしなさい、黙りなさいと言われ、隅っこの日の当たらない部屋にあったミシンを踏んで遊んでいた。今でもあの場所をはっきりと思い出せる。

ミシンの踏み方は祖母をみて学んだ。
こんな風に書いたら祖母は冷たい人のように思われるが、大人になった今祖母の気持ちがよく分かる。子育てが終わり、静かに老後を過ごそうと思っていたのに、子供が苦手な祖母がまた子育てをしなくてはならない心境を。

その保たねばならない静寂さの為に、得たものがある。私は縫い代を発見した。
初めて作った作品はものさし袋だった。「測る」という概念がない5歳児、始めは何故ものさしが入らないのか理解出来なかった。入らず、何度も挫折し、何日も挑戦して作った。布を少し大きく切って縫えば袋ができるんだ!と思いついたのだった。
何故ものさし袋だったかというと、当時ものさしは、私にとって魅惑の道具だった。やたらと家の人間たちはものさしを失くし、探し、取ってきてと言われて渡したら、眺めただけで横に置く(測ってたんだなと今は思う)。縫い代を発見した私は、ものさし袋を山のように作り、ご近所さんや家に来るお客や業者にプレゼントしていた。(今思えば変人)
縫う布が無くなったら、そこらへんにある服を勝手に切って怒られた。祖母のクローゼットを覗いては、次に切る布を想像して、家中にある縫えそうな素材(紙やヤスリ、ファイルなど)を縫って遊んでいた。
ミシンのお陰で毎日が楽しかった。

だから わたしは縫い代に思い入れが大きい。

文化服装学院に通っていた頃の先生は、良い仕立ては、縫い代の薄さ。特に襟だと言い習った。先生はカフスや襟を触って、縫い代を何ミリで縫ったかが分かると言っていて、惚れた。あれは鼻血もののトークだった。毎回目の前で、自分が作った課題の縫製を見てもらうのだが、私は先生の縫い代チェック中の指の動きに釘付けだった。他の事でも本当にすごい先生で憧れだった。

他にも、在学中に聞いた講演の話を今でもよく覚えている。松本ルキさん。「君達が縫う、その縫い代の幅には、何か特別な理由があるか。プライドはあるか。自分の美しいと信じる縫い代が例えば1.5cmや3cmだったとするならば、それもデザインだと言い切り、信じて縫え。縫い続けろ。それがいつかブランディングになる」

その講演は本当に印象的だった。だってさっきまで教室で、憧れの先生に縫い代は1cmで って授業で習ったよ?でも、確かに1cmって守らないといけないわけじじゃない。そもそもなぜ1cm?決まってないなら、自分の好きな幅の縫い代を考えてみよう。縫い代は好きな幅でいいんだ。そこに自分の信じる美しさの幅を、書けばいい。デザインは自由だ。

縫い代を発見するところから始まった、私の長いミシン人生の物語。鼻血ものの好きな先生に出会い、ファンキーな大人の縫い代論からブランディングの基本を学んだ。縫い代一つとってみても、こんなにも尊い。因みに私が好きな縫い代は1cmか1.2cmで、好きなステッチは0.25cm。部位によって使い分ける。

あなたの縫い代には 何か物語はありますか。
その縫い代にプライドはありますか。
今回も読んで下さり、有り難うございました。また書きますね。

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