物にも魂があるという日本人のアニミズムについて
布屋で布を切ってもらう時、お店の人が鋏をがしゃん!と投げるように置くのをみるとドキッとする。(え!投げちゃだめでしょ 驚き)
海外のドラマや映画で、プレゼントのラッピングペーパーをビリビリッと破いてポーイッとするシーンを観ると心がピリピリする。(え!その紙もかわいいのに 泣)
ノリノリのギタリストが、「クレイジーな俺」の終盤にギターを破壊してるのを観ると、ちょっと怒る。テニス選手が負の連鎖を断ち切る為にラケットを壊しているのを見ても思う。(なんで壊すのよ 怒)
私は気にしすぎなんだろうか。
ケチで真面目すぎるんだろうか。
まぁそれは何でもよい 取り敢えず、物に対しての心のチクッが、割と多い種類の人間ってこと。
小さい頃から、物は大事にね 物にも魂があるからね、と言われて育ってきた。
お皿1枚割ってしまったら、お皿に向かってごめんなさいを言わせる、ラッピングペーパーは破かないようにそっと開いてブックカバーや封筒に、
ボタンは捨てずに再利用、
そんな祖母に育てられたから、ずっと物にも魂があるんだとファンタジーの世界なんかじゃなくて、本当にそうだと思っていた。
大人になった今でも。
物にも魂が宿っている。
でもこういう考えは少数派だということも、海外に出て知った。アニミズムだねと言われて、ポカンとした。アニミズム(英語: animism)とは、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方のこと。
中でも、日々の生活に使っているモノにまで魂が宿るという考え方は日本特有なんだそうで、
確かに日本人は道具に対して「労わる」という感覚までもが備わっているように思う。
包丁でも、鋏でも、道具も直しながら使い、磨き、労わる。特にプロと呼ばれる人達の拘りたるやもうあっぱれなほど。
付喪神(つくもがみ)という妖怪をご存知だろうか。長い年月を経て使った道具や物などに宿る神や精霊(霊魂)のことだ。
古くから日本にはアニミズムの妖怪までいるんだから、そう思うと日本って、なんて謎と魅惑に満ちた面白い国なのだろう!
物にも魂が宿っている。
けれど、そう思わせる物も少なくなってしまった。使い捨てで終わっていく道具や物に溢れているし、100円で日本製のお皿だって買えてしまう現代。
でもちょっと待って。安物には、魂が宿っていないのかしら?
きっと付喪神は値段は問題ではないんだろう。
100円のスプーン1本、お皿1枚にだって、持ち主の気持ちの在り方次第で付喪神はやって来る。
だってそうでしょ、付喪神は長年大事にしている物に住む妖怪なんだもの。
安いことが問題なんじゃない。
高級でオシャレで、機能的な物でないことは問題ではない。
大事に長く使えないことが問題なんだ。
私には長く使っている仕事の相棒(道具)がいる。
10年ほど前に「布は私が作るのではなく、道具が作る」というお告げめいた事を、織り機に座った時ふと感じたのは、妖怪からのメッセージだったのかもしれない。
それ以来道具は大切に磨き、いつもあるべき場所にしまい、作業場は出来るだけ整理整頓。
最小限の道具をいつも大切にしていたら、道具たちからも好かれている気がするから不思議。
とんとんと仕事が上手く軌道に乗り出したのも、物に対する姿勢を変えてからの時期と重なる。
道具や部屋を整えると、頭がクリアになる。長く使っている道具は、自分の手と脚のように動く。
良い仕事がしたければ、まず道具に愛されることから。
長く仕事をしていたら、良い時も、悪い時もあるけれど、いつもまた同じ場所に座っているのは
清々しい場所が、道具たちが、私を呼ぶから。
明日もここで 道具たちと
作りながら 暮らしていく
良い時も悪い時も一緒にね。
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今回も読んで下さり、ありがとうございます。
記事を書いていて小さい頃祖母はよく私に、もったいないお化けが来るよと言っていたなぁと思い出しました。
祖母とは違い、私は息子に妖怪の話をします。
子供に片付けを教える一方で、私も物との向き合い方、消費の仕方に常に考えさせられ悩む時もありますが、物には魂があるという言葉を疑ったことはありません。
受け継いでいくアニミズム、この想像力こそが、日本人の価値 とさえ思うのは私だけでしょうか。
ご感想などありましたら、インスタグラムDMまで宜しくお願いします。
それではまた、会いましょう。