同期の私

 会社の私、自宅の私、路上の私、海辺の私、働く私、眠る私。どれも皆私。個々の私の体験は瞬時に同期されてすべての私の中に共有される。私は一人でなければならないという先入観からついに解放される時が訪れた。どこにでもいる私。

もう私は一人じゃない!

「先週の木曜夜8時どこにいましたか?」
「木曜の8時だったら八丁堀の将棋センターで将棋を指していました。私が四間飛車で、確か相手の方が右四間飛車でした。ほら、最近どこに振っても多いでしょ。右四間飛車。そんなにいいんですかね。まあ、シンプルでわかりやすいのがいいんでしょう。私は何がきても固めてさばくだけですから。他に証人はいます。子供も多くいたし、中には振り飛車党の人も結構いましたよ」
「それはあなたの内の一人ですよね」
 そう。私は一人じゃない。一点にいながら、他のあらゆる点に存在することができる。矢倉の私、石田流の私、ひねり飛車の私、鬼殺しの私、力戦の私、ごきげんの私……。
 アリバイは完全に崩れた。

 コーヒーを飲んで無敵になる私、旅する私、ぼーっとする私、野球観戦する私、クリームソーダを注文する私、落ちて行く私、夢を見る私、どこまでも飛んで行く私……。
 何人の私を持つことができるか。
 それは自分の懐と相談することになる。

 同期された私が同時に抱く記憶。
 私は私なのか?

「愛と死の共有によってのみ私は私である」
 そう語っていたのは誰だっけ?



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