花猫

 死んでいた花を拾って家に持ち帰った。花瓶に挿して水をやるが何も変わらなかった。捨てるには惜しくしばらくそのままにしておいた。朝晩水をやることが習慣のようになった。少しずつ花の色が精気を取り戻し始めたような気がした。そう思うともう捨てることはできなくなった。錯覚ではない。月が変わる頃、花は本来の自分の色を取り戻しつつあった。

「おはよう」
 ある朝、花は口を開いた。
「あっ。しゃべれたの?」
「ふふふ。前世は鳥だったのよ」
 花は日に日に元気になっていた。これまでのやり方はすべて間違いではなかった。もっともっと。もっと元気になれ。花は伸びていく自分が誇らしげだった。花は時々窓の外をじっと見ているようだった。
「あそこ。何か懐かしい場所」
 窓の外には葉の落ちた一本の木があった。
 真っ白だった花は突然別の色も見せ始めた。水以外のものも欲しいと花は言った。思いつくままにお茶やジュースをやった。コーヒーをやった時は少し身を引いた。一番喜んだのはミルクをやった時だったように見えた。花はとうとう白と黒の二色に分かれた。
 花瓶を抜け出して部屋のソファーに飛び移った。
「名前をつけないと」
 花は猫になったのだ。

「サキ」
 おやつの時間に名前を呼んでもサキは来なかった。ソファーの下、本棚の上、クローゼットの隙間。サキの姿はどこにも見えなかった。
「サキー」
 バスルームにもサキはいない。暴れた形跡もなかった。まさかと思い開けてみた洗濯機の中に取り忘れたいつかのTシャツがあった。ドンドンと硝子を叩く音。誰かが外にいる。
「ああ。どうやって外に出たの?」
 口の周りが土で汚れていた。冒険を終えてサキはソファーに飛び乗った。隅っこのいつもの定位置に身を縮めるとすぐに眠りに落ちた。今の内に仕事を片づけてしまおう。花だった頃よりもサキは随分と手が掛かる。

「おとなしく待っててね」
 留守番を頼んで鍵をかけた。眠っていてくれればいいが、一度スイッチが入ると大変だ。部屋中が散らかってしまうのは仕方ないとしても、本格的にターゲットになってしまうと根こそぎ食い千切られることになる。心配を置いたまま歩いていると何かが後をついてくる足音がした。どこかで聞いたような……。
 はっとして振り返ると猫は足を止めた。

「サキ?」
 マジックのように抜け出して後を追ってきたのだ。元より普通の猫とは違う。サキは不思議そうな目をしてずっと私の方を見上げていた。行き交う見知らぬ人々。加速をつけて長距離バスが通り過ぎる。大きな犬が通りすぎても、サキは慌てる様子を見せなかった。
「一緒に行くか」
 サキを抱えて街を歩いた。また少し重くなったような気がした。あたたかな鼓動が胸に伝わってきた。本当は興奮しているのかもしれない。待っていてくれればよかったのに。落ち葉を寄せ集めて風が歩道の上で暴れ回っていた。サキは食いつくように視線を落とした。川のせせらぎ。ああ、そうだ。ここなんだ。
「ここでお前を拾ったんだよ」


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