マガジンのカバー画像

短い話、短い歌

58
運営しているクリエイター

記事一覧

ワン・オペレーター

ワン・オペレーター

 女たちが煙草に火をつけて、煙を吐き出すのが見えたが、僕は全く煙たくはなかった。パーテーションは肘に接触してキーボードを打つ時の妨げになりそうだったが、むしろ身を預ける拠り所のような存在でもあった。盾でもあり拠り所でもある仕切りは2つの意味を持って、その場所の価値を高めていたのだ。(煙が)すぐ近くに見えていながら自分にまるで及ぶことがないというあり様は、テレビでホラー映画を見ている時のようだった。

もっとみる
チェックアウト・ペンシル

チェックアウト・ペンシル

 誰かをどこかへつれていくためには、自分から動き出さなければならない。そう思って自宅を出てから随分と時が経った。本当のところはよくわからない。ここに流れる時間は以前の時間とは何か違うのだ。私はずっとここにいる。それでいてずっと遠くへ運ばれていくのだ。「誰だ?」私を持って行くのは……。この指か、それとも他の……。おかしい。黒く滲むものが何も見られない。インクはとっくに切れているのかもしれない。才能も

もっとみる
道草知らず

道草知らず

 自由な犬が道草を食いながら歩いていた。1日分の道草を思う存分楽しむように、熱心に食って回る。本当はもっとゆっくりと食いたいのだったが、先を行くご主人様が歩みを止めないので、そうゆっくりもしていられないのだ。少しは立ち止まり深呼吸でもすればいいのに、後ろを気にせずどんどん先に行ってしまうため、自由な犬はゆっくりと留まって道草を食うことができなかった。
 名残惜しい道草を食い食いしては、先を行くご主

もっとみる
闇のヒロイン

闇のヒロイン

 目立ちたくはなかった。一番望むのは木だった。それなら立っているだけでいい。寄りかかられても、話しかけられても、ただ放っておけばいいだけ。「消えているのは得意だった」叶わなければ村人Aがいい。台詞は一つ。「わー。話しかけないで」
 だけど、謎の勢力が私を目立たせようと動いているようだった。自分から最もかけ離れたところへと私は運ばれていった。もう、消えていることは許されない。分厚い台本のすべてはまる

もっとみる

納豆の法則

 おばあさんは納豆を混ぜていた。一定のリズムで箸を動かすスピードは少しも老いを感じさせない。納豆は少しずつ艶を増し十分な粘りを放ち始めた。それでもまだおばあさんの勢いは止まらない。始まった頃と変わらぬペースで運動が続いていく。
 おばあさんが当たっているのは納豆という組織だ。けれども、その愛情は一粒一粒に対して注がれている。
「こうしている間がいちばん幸せかもね」
 そう言って笑う時も、手を止める

もっとみる
猫とナポリタン

猫とナポリタン

 白を基調とした店内に流れるのは古びたJポップ。鉄板の上のナポリタンに思い切りタバスコを振りかけると何だかいい気分だ。半分くらい食べてさらに粉チーズをふりかけた時、穴から虫のミイラが飛び出して鉄板の上に降りた。フォークでちょんちょんとつつくとミイラが復活した。

「ちょっとマスター!」

「また出たかー!」

 駆けてきたマスターはすっかり猫になっていた。ミイラを追って飛び出していく猫を、僕も追い

もっとみる

来賓宇宙人

 段落が変わると詩は小説になり日記は手紙になる。つながっているようでつながっていない。形が変わると心も変わる。段落を避けて進むことはできない。私は僕になり、母は猫になり、先生はささくれになり、僕は夕日になり、海は小川になり、雲は消しゴムになり、言葉は波線になり、段落毎に落ちていく。わからない、わからない、わからない……。(変化を望まないものはいないのだろうか)希望は夢になり、うそは朝になり。何がど

もっとみる
狐の湯、竜の背

狐の湯、竜の背

 一番風呂を頂こうとすると先に狐が入っていた。

「どこから入った?」
「遅かったな」
「勝手に入ったな!」

「自分が一番と思ったのだろう」
「そうだ」
「他にライバルはいないと思ったか。わしのようなものは完全にノーマークだったのだろう。思い上がりだな」

 確かに狐の言う通り、そうした部分もあっただろう。反省の意味も込めながら、私は狐の背を流した。

「将棋はどうじゃ、強くなったか?」
「えっ

もっとみる
モデル・チェンジ

モデル・チェンジ

 行きつけの店に任せれば75点から80点の出来が約束されている。何の不満もないはずだった。

(もっと突き抜けたい)

 季節の変わり目に湧き出てくる冒険心を抑えきることは難しい。私は新しい扉を探して歩き始める。未知のドアノブに触れる瞬間、私の手は微かに震えている。ドアの向こうには、自分のことを何も知らない人たち。でも、もう後戻りはできない。

「今日はどのように……」
 彼はゼロから私を創ろうと

もっとみる

桂ちゃん/消しゴム

「桂ちゃん、すぐに助けに行くよ」
「みんな、僕に構わず中央を目指して!」

「桂ちゃん、どうしてそんなこと言うの?」
「自分の役目くらいわかってるさ」
「桂ちゃん」

「敵将は桂先の銀を選ばなかった。壁銀にして引っ込んだとこで僕の運命とこのゲームのモードが決まったんだ。僕が消えるまで、僅かだけれど確実に存在する時間に、みんなはできることをすべきだよ」

「どうにもならないの?」
「最初からわかって

もっとみる
第14話(緩やかな相棒)

第14話(緩やかな相棒)

 海外の連ドラをずっと見ていた。
 14話目に入っても、登場人物が覚えられない。筋書きが全く入ってこない。本当に14回も見ているのだろうか。ほとんどの時間は眠っていたのかもしれない。(眠る気でない時ほど僕はよく眠ってしまう)

「まだみてるか?」
 話の切れ目で時々疑ってくる。
「はい」
 適当に指で返す。
「日々は続く」
 と主人公が豪語する。

 誰この人?



日々淡く分断されて千年もつ

もっとみる
マッチング・エラー

マッチング・エラー

 あなたは頑なにちがうと言う。IDもパスワードも合っているのだ。一字一句誤っていない。わざわざ真っ赤になりながら「ちがいます」と告げてくる。まちがっているのは、あなたの方だ!
 今日は歌の約束があるのに。ずっと門前払いされ続けている、これは何かの罰なのだろうか。きっと扉の向こうでは待ちくたびれて……。

「あの人今日は来ないな」
(確か約束してたけどな)

 何かあるのかな。きっと色々あるのだろう

もっとみる
フライング・シャツ

フライング・シャツ

 落ちることによって存在を知らせるように滑り落ちる。その度にシャツを椅子にかけ直した。何度も何度も。見ている間はシャツは大人しくそこにいる。けれども、目を離してしまうといつの間にか落ちている。ここにいたくないのか、それとも誰かに着てほしいのか。

 もう好きにしな。

 突き放した瞬間、シャツは大地を離れて行った。あっという間に手の届かない距離まで達すると、自分の小ささに改めて気づいた。

「待っ

もっとみる

お目覚めシュート

「あなた熱すぎて疎ましいの。私たちはクールな歌会だから」

 クラスタに属するのは得意じゃない。
 独りで落ち着いてコーヒーを飲もうじゃないか。
 誰にも邪魔されない時間。それこそが僕の望むもの。

「当店のどんなアイスティーも、お客様の熱を下げることができません。お引き取りを」

 そんな……。
 僕の望みは温かなコーヒーだった。
 まだ行くところはある。
 世界で一番心地よく迷子になれる素敵な

もっとみる