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リトル・メルヘン

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#小説

秋刀魚と狼

 長い雨の後の大きな水たまりの表面がゆらゆらとして物語が浮かんでいました。水の紙芝居のようでした。

 昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいて昔話に花を咲かせていました。昔のことらしく幾らでも遡ることができるので、なかなか話は先に進みません。おじいさんに先に進めようとする意思はなく、おばあさんには遡るための引き出しが幾つもありました。引き出しを開けると、新しいおじいさんとおばあさんが現れて

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花猫

 死んでいた花を拾って家に持ち帰った。花瓶に挿して水をやるが何も変わらなかった。捨てるには惜しくしばらくそのままにしておいた。朝晩水をやることが習慣のようになった。少しずつ花の色が精気を取り戻し始めたような気がした。そう思うともう捨てることはできなくなった。錯覚ではない。月が変わる頃、花は本来の自分の色を取り戻しつつあった。

「おはよう」
 ある朝、花は口を開いた。
「あっ。しゃべれたの?」

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とりかえっこ

 昔々、街の中心に近いところに傷ついた鶴がいました。偶然にそこを通りかかった若者は、傷ついた羽を震わせ苦しそうな鶴を見つけて立ち止まりました。(助けなければ)若者は助けることを前提にして、念のためにその後のことも考えてみました。もしもこの鶴を助けたとして、鶴の傷が癒え、元気になったとして……。
 若者は助けた後の未来に想像を掘り下げながら立ち止まっていました。元気になった鶴が、突然家に押し掛けてく

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テレビタックル

テレビタックル

 猫がテレビにタックルした。
 アナウンサーは読みかけの原稿を置いて、カメラを睨みつけた。
「もううんざりです。どのニュースも伝えるまでもない。今入ってきたニュースなんて、もうニュースでさえない。こんなものは昼下がりの公園で暇を持て余した貴方たちが、おしゃべりの種にでもすればいい。ふん、ニュースだと。こいつのどこが、いったいニュースだ? ふん、こいつは個人の日記に毛が生えたようなもんだ。私が伝える

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規制の銃

規制の銃

 朝から晩まで身を乗り出して鈴木鈴木と叫ぶ声が疎ましいので規制の銃をぶっ放してリフレインを規制した。鈴木は鈴木ばかりを繰り返すことができなくなって、スタッフの名を順に叫んでいる。デモ隊の列に規制の銃をぶっ放して、旗揚げを規制した。彼らは着ていたTシャツにメッセージを書いて、裸になって行進した。なかなかしぶとい連中だ。
 顔を合わせる度に上から説教してくるので、規制の銃をぶっ放してお説教を規制した。

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B15

B15

 上り詰めることを夢に見たはずだったが、重力に逆らって駆け上がる元気は既に失われていた。もう、疲れたのだ。かつては強く軽蔑していた言葉に、今は共感さえ抱くようになった。私は地下へと続く階段を下りた。駆け下りるとなると足は軽やかに弾んだ。いつからか、楽なことばかり選ぶようになっていた。地下4階まで下りていくと、誰かが猫のような勢いで階段を駆け上がってきた。

 ランドセルを背負った少年が駆け上がって

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チャララララ

チャララララ

あのメロディーが聞こえてくると
みんなたまらず飛び出してくる
チャララララ

宿題も家事も放り投げて
絵を描く者は筆を置いて
争う者は拳を置いて
五段も七段も指し手を止めて
「一旦封じます」

チャララララ
対局室からアトリエから
地下街から屋上から
オフィスからビルの中から
トンネルから山の上から
町の外からまでも

チャララララ

吸い寄せられた人々に取り囲まれて
車は動きを止めた
降りてきた

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モンキー・マジック

「なんでこんな星にしたんだよ」
「そうだ。もっとあったよね」
「さっきのでよかったじゃない」
「本当だ。よほどよかった」
「お前らな。だったらさっき言えよ」
「言いましたけどね」
「ちゃんと言えよ。ぼそぼそ言ってただろ」

「でも酷い星」
「何も得るものが見当たらない」
 流石にもう黙って聞いていられなかった。田舎だから自分たちしかいないと思っているのか。だが、ここは私の愛する街だ。もう隠れている

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おじいさんと雨

おじいさんと雨

 本当は早く終わってほしかった。
 おじいさんの話を聞きながら、僕は雨が心配だった。
 朝のお天気おねえさんが言っていた通りに、雲は今まさに頭上に集まりつつあった。おじいさんはとても楽しそうだ。たいした相槌も返せないけれど、おじいさんはどんどん話を前に進めた。僕はただ静かに話がきりのいいところまで行って落ち着くのを待った。

(それではまた)
 別れの言葉をポケットの中で温めていた。もうそろそろ話

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イルカはごめん

 僕らは翼を持った新しい豚だ。狸が扮装し木の葉を使い人の間で商売する間に、僕らは知恵を蓄えた。犬や猫が人の温もりに恋して家具の間を行き来する間に、僕らは夢と想像を膨らませた。檻に捕らわれ縄に捕らわれた時代を抜け出して、僕らは上を向き羽ばたく豚へと変化した。人間からかけ離れたものでもない。人間に近づきすぎたものでもない。気がついた時には、僕らは他の動物とはどこか一風変わった奇妙な存在になっていたのか

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素麺流し

「来週入ってきます」
「えっ? 先週も確かそう言ってましたよね」
 素麺ブームは衰える気配がなく、どこの店に行っても一本の麺も残っていない。僕は入荷の日を楽しみに一週間を過ごしていた。昨日から何も食べずに足を運んだというのに。
「また来週お越しください」
 食欲が一気に失せた。素麺以外の何を食べろというのか。記録的暑さが体力を日々奪っているというのに、今は素麺以外にまるで関心がない。

「くそガキ

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シャドー・ファイター

シャドー・ファイター

 誰にも会いたくなかった。
 俺は電灯の下で顔のない男と対していた。
 お前は俺の影。俺の繰り出すジャブもストレートも、お前には届かない。お前は俺ほどにしなやかで、俺にも増して素早い。何よりも従順な練習パートナーとなるだろう。
 俺が立つ限りお前は立ち、俺が倒れぬ限りお前も倒れないだろう。思えば俺の敵はお前だけなのかもしれないな。
 さあ、こちらから行くぞ!
 俺は強くなりたいんだ!
 俺は探りの

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うどんおばば

 がらがらと扉を開けると帽子の紳士が一人かけていた。私は店の中程に進み広いテーブル席の隅に座った。すぐにおばあさんがお茶を運んできた。
「今から茹でますと25分かかります」
 仕方ない。美味しいうどんのためなら私は待つことにした。お待ちくださいとおばあさんは店の奥へ姿を消した。間を置かず今度は少し若い女性がやってきた。
「今から茹でますので12分かかりますけど」
「あれっ。さっき別の方に言いました

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踏切の向こう側

踏切の向こう側

 生きていく上では忘れてはいけないことがいくつもある。
 挨拶をすること。まあ、いいや。後で返そう。呑気に構えている内にどんどん人々が去って行く。気がついた時には自分だけになっている。
 さよなら。言える時に言っておかないと後からでは言えなくなる。忘れないように……。そう心がけていても、やっぱり忘れてしまうことがある。

 鍵をかける。これは基本的なことだ。
 家を出る時には、他にも忘れてはいけな

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