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リトル・メルヘン

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#掌編小説

ロケット・ベッド

ロケット・ベッド

「そんなところで読んでいると目が悪くなりますよ」
 どんなところだったか思い出せない。忠告も無視したくなるほど引き込まれていた。読んでいると誰かがまた別の本を薦めてきた。

「この本を読んでいる人は、こんな本も読んでいます」
 他人の意見を素直に聞くことは苦手だった。あんまりしつこいので時々は誘いに乗ってみた。案外に自分の好みに近かった。一度乗ると抵抗は薄れて乗りやすくなった。おかげで選択の幅は広

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8番ホーム

8番ホーム

 猫のことを考えていた。猫の振り返り。猫の足音。猫のあくび。猫の通り道。猫の足跡。猫の独り芝居。猫の霊感。猫の駆け足。猫のダッシュ。猫の横切り。猫のジャンプ。猫の好物。猫の壁登り。猫のつまみ食い。猫の威嚇。猫の後退り。猫のジャブ。猫のいる日溜まり。好きな猫のことを考えていた。

 8番ホームには誰もいない。いつもいる人がいない。祝日の月曜日。突然、鴉が降りてくる。何もないことを確かめて、羽ばたく。

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孤独のドリブラー

孤独のドリブラー

 灼熱のピッチの上で一段落のティータイムが提案されたのは、古い常識に縛られない主審の粋な計らいであった。ピッチサイドでは、解説者も選手も一緒になって、四万十川のおいしいみずを飲みながら、各自が持参した甘辛様々なお菓子を広げた。
「九州しょうゆ味だよ」
「これはなかなかいけるね」
「おまえチーズ味好きだな」
 色彩豊かな種々のお菓子は、それまでピッチの中にあった個々の溝を容易に埋めて、選手の口も軽く

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【小説】人間の扉

「行くんじゃない! そこを潜ったら元には戻れないぞ」
「大丈夫。僕は大丈夫」
「駄目だ。絶対に。そうはならない」
「どうしてわかる? 君にわかるはずがない」
「お前にだってわかるはずがない。わかるか?」
「何がだ?」
「その扉を抜けたら人間になってしまうんだ。そして一度でも人間になったものは、もう再び元の自分に戻ることはできないんだ」

「僕は違う! すぐに元に戻ってみせる」
「自惚れるな! お前

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風の議員

「傾いているようですが」
 新しく建った塔は西日を受けながら、今にもこちらに倒れてくるのではと思われた。
「わざとそうしているのです。安全上」
 それで合っているのだと議員は言った。
「風の強い日に、自転車をどうすると思います?」
 風の強い日だった。歩道の端に隙間なく自転車が並んでいた。何のことだろう……。風と自転車がどうしたというのだろう。

「今日は風が強い」
 自分が起こした風だというよう

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