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島国の国際人(Stay with Note)

NOTEに参加してあっという間に一年過ぎた。記録と記憶の断捨離を兼ねて寄稿し始めて一年。面白くも、ためにもならない断捨離をフォローしてくれた人、スキをしてくれた人、有難う。

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グローバリゼーションが死語となり、ブロック経済とかいう言葉が台頭している。通信技術の革命により知識や情報は解放された。ともすれば血も熱も伝わらない“情報だらけのグローバリゼーション”になりそうだ。それでも争いのないグローバリゼーションの方が旅人には優しい気がする。いずれにせよ、一人一人の自立がなければ、情報の餌食になる。そんな今日、”見る前にとべ”という言葉が新鮮に聞こえてくる。

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リタイアしたロベルトは断捨離と決め込んでいればいいのだが、島国日本人の国際化は永遠の課題だ。そんな課題を抱えた日本人が、世界で働き、歩き、走り回り、食べまくる姿をNOTEの臨場感のある投稿を読むとき、島国根性はすでに死語になり、多くの島国からの国際人をみる。海外からの投稿は楽しく、投稿者が羨ましくなる。

記憶を呼び起こし、NOTEで現状を知り、Google Earthで行きたいところに飛ぶ。”なんて世界だ‼(小峠英二)”

長崎の出島

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コロナによる2年の長きにわたる幽閉生活、初めてのMY鎖国時代を味わった。長崎に旅行した際、江戸の鎖国時代を思い出した。長崎の出島を通して、オランダとポルトガルと交易していた。相手はイギリスでもないし、アメリカでもない。中国でもない。ポルトガルといえば、今はサッカー選手のロナウド、ポートワイン、それにイワシの屋台が有名だ。1543年の種子島鉄砲伝来からポルトガル船来航を禁止するまでポルトガルが最大の交易国だった。1549年には、ザビエルが長崎に上陸する。ザビエルは故郷の裏山を通ってキリシタン大名大友宗麟に拝謁している。織田信長は、外国人を採用していた。黒人の“弥助”を側近において交易していた。さすが、信長.現地人の採用は当の昔から始まっていた。

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Stay with Corona がはじまる。もっと大事なのは、Stay with Note.かもしれない。我々は島国から来た国際人。


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