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【第2回】街に降りよう!

自分でnoteを始めるにあたって、とにかく1日1記事を目標に書いてみようと思っている。100日でなんちゃらのワ◯みたいなね。

ここでは下北沢に移ってきた経緯やロバート下北沢を始めようとした経緯などをつらつらと語っていきます。

懐かしい「匂い」

シモキタに来たのはおおよそ20数年ぶり。デザイナー駆け出しの頃、友人がシモキタに住んでいたりしてよく遊びに行っていた。今だとご飯屋さんの「山角」があるその並びにあった「BEBE」という店なんかに飲みに行っていた。自由な雰囲気でシモキタあるあるだけど隣にミュージシャンや俳優さんがいることも稀ではなく、「BEBE」もそんな感じの店だった。路上で歌ったり、寝転んだり、シモキタの街全体がゆる〜くなんでも受け入れてくれる感じが駆け出しのデザイナーには心地よかったことを覚えている。いまは再開発で新しく生まれ変わる途中だけど、まだその雰囲気が漂っていて、会社を移転したときはあの懐かしい「匂い」が蘇ってきた。

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恵比寿→代々木→富ヶ谷→南青山経由、代々木上原

その前の場所は代々木上原の閑静な住宅街の一角にあるマンションの最上階だった。恵比寿からはじまり、代々木→富ヶ谷→南青山→代々木上原と転々と会社の場所を移していた。デザイナーの憧れである「いつかは、南青山!」と思って南青山にしたものの波長?ってものが合わず、なんだかその場所にあるノイズに耐えきれなくなってきて、1年半くらいで「代々木あたりに帰りたい!」と思って強引に代々木上原に強行引越。

付き合わされるスタッフたちには迷惑な話である。

代々木上原は閑静な街で、品がよく、氣の流れもなかなか良かった。都会なのに「山のようなもの」を感じさせてくれた。会社を置く場所はこの「氣」というものが個人的には重要なファクターで、肌感というのか相性ってのがあるものである。

代々木上原に約8年、更新4回もしたんだから相当気に入っていた。会社もまぁまぁ順調で申し分なかったんだけど、個人的にイマイチ、アガらなくなってきた...。40歳も半ばに差し掛かり、安定というものが逆に重くのしかかってきたのだ。

後半はなんとな〜くが続いて「ダメだっ!このままじゃ終わる!」「よし、引越そう!」となってしまった。閑静な街でザワついたノイズから距離を置いたはずが「街に降りよう」と思ったワケである。

その「街」がここ下北沢だったワケだ。

(つづく)




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