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まぁちゃんとぼく

令和四年二月二十六日、まぁちゃんが死んだ。

それはもうあっさりと潔く、ツーステップでトトーンと逝った。

胃がんの疑いがあるというので、前日に検査結果を病院にビクビクしながら聞きに行ったら、ばっちり大丈夫だったとのことで心底ホッとしたようで、ウキウキしながら昼からイタリアの泡のワインを1瓶空けたらしい。(イタリアの泡のワイン:多分スパークリングワインのことでしょう)

晩にはビールも3杯飲んで、大好物の素鍋(昆布1枚だけ入れた鍋に鶏肉やセリ、糸こんにゃく、豆腐なんかを入れて、醤油とポン酢を鍋の出汁で薄めて食すシンプルな鍋)をたらふく食べて、〆にいつものようにうどんをすすり、ご機嫌に

「あーぼくなんの心配もなくて幸せー」

などと、きちゃん(まぁちゃんの妻)に伝え、
ぼくにはLINEで

「いつも心配してくれてありがとう」

と送ってぐーすかいびきを立てて眠ったそうな。

朝になると大学時代からの親友たちに、イタリアの泡のワインの旨さをLINEでポチポチ伝えていたのだが、

「あれ?何だか胸が苦しい気がする」

と違和感を感じたようで、こういう時は大袈裟でも救急車を呼んでみようと、きちゃんに救急車を呼んでもらい、自分でトコトコ乗り込んだ。

搬送先が決まり出発して暫くすると急に意識を失い、そのまま心肺停止。
きちゃんに手をさすってもらいながら、眠るように逝った。

関白宣言よろしく、きちゃんには

「ぼくのこと送ってから死んでね」

と常々言っており、痛いのも苦しいのも、長患いもやだし、ボケるのもやだなぁと要望を出していたが、希望通り最期になった。


まぁちゃんとは沢山遊んで沢山語らって、沢山歌って、沢山ハグしあったので思い出は尽きないが、いつの日か色褪せて思い出せなくなったら寂しいので、思いつくままに書き記していきたいと思う。

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