「ライオン年」と主張した教え子。
教え子の中に、数人(よくもわるくも)強烈エピソードを残す方がいる。
そこで、寅年の少年を紹介。
干支と6歳児
丸付けをせっせとしている私の机の周りにクラスの1年生が集まっていた。(よくある)
少年「ぼくの兄ちゃん、ねずみ年だから足、速いんよ。」
私「ほう、そうかなんか~。で、○○くんは何年?」
少年「うーん、えーっとねー、○○はー、ライオン年!!」
ライオン年。
私は一度目の衝撃を受け、かなり笑ってしまう。
(笑ってごめん)
がしかし、さすが1年生。
周りの子は誰も笑わず。
むしろ笑っている私を
「え、何がおもしろいんですか?」という冷ややかな目で見てくる。
二度目の衝撃を受ける。(これが1年生・・。)
すると
賢い女子「○○くんが何どしかは知らないけど、わたしは寅年」
周りの子「そうそう、ぼくもとら年!」「わたし、うさぎどし~。」
といって盛り上がり、チャイムがなった(気がする)。
この話をどう収めたか、全く覚えていない。
(おそらく修正した記憶がある)
ただ、この絵本はおすすめです。
ランドセルからランドセルを出してきた
この少年はエピソードに事欠かない。
6月頃。休憩時間に、
ライオン年の少年「先生、鞄ほしい?」
私 「え、鞄?いや、別にいらんかな。」
(これは応答ミス。ほしいと答えるやつだった。)
私 「いや、ほしい、ほしい。今ちょうど鞄壊れたんだった!」
ライオンの少年 「じゃ、あとであげるね~。」
と言って放課後、ランドセルからランドセルが出てきた。
思っていたクオリティと違う。
(1年生の男の子でここまで折れるのはなかなかだと思う。)
さらに中を開けると教科書も連絡帳も再現してあってさらに感動。
(このことに気づいたのは1ヶ月後だったが)
あとでお母さんに聞くとyoutubeを見て作ったらしい。
彼の2年生時の将来の夢
「図工のすごい人になる」
今も変わってないのだろうか。
(国語のすごい人は意味不明だが、これはうなずけますよね。不思議)
保育園の先生
思えば4月から彼には驚いた。
ライオン年の少年は4月の最初の図工。全くクレヨンが進まず、座って、何やらうにょうにょ動いていた。
私 (ちゃんと描けよと思いつつ)「○○くんは何が好きなんかな~?」ライオン年の少年 「先生も一緒に描こう。はい、水色持って~」
私「・・・え?」
「一緒に絵を描こう」と言われたことは一度もない。
というか、子供の作品に教員が描く=タブーと思っていたので、衝撃を受けた。
(たしか何か少年に声をかけ、描かず立ち去った。ごめん、二度目の謝罪。その後、無事に絵を一人で描ききった。)
このことよりも、「保育園の先生ってこうやっていたのか。」ということに衝撃を受けた。
(おそらく、
やりたがらない子供と一緒に絵を描く=絵を描きたがらない児童と一緒の世界に浸ること→やる気にさせていた)
「さすが、保育園の先生」と思い、こちらが勉強になりました。
私を「先生」に、そして「ヘルニア疾患」にしてくれた教え子たち
思い起こせば、
・整頓するために、大量の木工用ボンドのそれぞれに「前、ならえ。」って言いながら並べる方。
・「先生がアメリカかアフリカ、どっちに行くのか聞いてくる」って右手に油性ペンで大きく書いてきた方。
みたいな大人にはない発想を見て、月2回くらい感動していた気がします。
私をヘルニアにしたのは、この方たち、おそらく。
(おんぶもだっこも、大縄を相当回した、こう見えても。)
だが、20そこそこの若造で人間的に欠陥のある私を「先生」と呼び「先生」にしてくれたことに、辞めた今は感謝できる。
ただ在職中は余裕が無く、「コントロールできないものは、コントロールしない」って分かっているのに出来なかったこと、大いに反省している。
最近はマラウイからこの方たちに、「どんなおもしろい祝電を送るか」について考えている。
そして、マラウイでこれを超えるおもしろい子供エピソードを探したい。
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