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【図録レビュ】2008.3.6国立西洋美術館「ウルビーノのヴィーナス」

今から思うとこんな名画が来ていたのか、と驚くことがある。この展覧会もその一つである。
ひそかに”一点モノ”展覧会と呼んでいる種類の展覧会ではあったが、図録を見返すとなかなか見ごたえのあるものだったと唸ってしまう。
2008.3.6に訪れた国立西洋美術館「ウルビーノのヴィーナス」展だ。

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目玉となる有名作があり、あとはその取り巻きで固めるような展覧会を私は”一点モノ”と呼んでいる。この展覧会も形だけを見るとそうなのだが、その”取り巻き”も侮れない作品ばかりであった。

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これがその時の図録。

愛の女神ヴィーナス。その起源は判然としないという。
かたやウラヌスの性器が海に投げ込まれ、そこから生じた泡から生まれたと”天上のヴィーナス”。一方で万民のための神としてあがめられたことから”万民のの世俗の民のためのヴィーナス”転じて”地上のヴィーナス”とも崇められることとになる。これがヴィーナスの二面性の起源でもある。

古代のヴィーナスといえば、”恥じらい”のポーズが有名だ。
元々水と親和性の高かったヴィーナス。水浴の折、誰かに見られた刹那を捉えたポーズである。

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このメディチのヴィーナス、と呼ばれる大理石像はその代表作である。

また、ルネサンス期に盛んになった新プラトン主義では、美への希求が人間をして知性に向かわせしめると考えられていた。
一方、文化的には祝婚画というものが描かれるようになってくる。
これはカッソーネと呼ばれる長持ちの蓋の裏面に描かれ、寝室などのプライベート空間におかれたもので、端的に言えば子宝に恵まれるようにという一種のポルノグラフィティの役割を担っていたジャンルである。
いわゆる”地上のヴィーナス”の面目躍如だ。

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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「ウルビーノのヴィーナス」(1538年)

言われなければヴィーナスとも気づかないほど、”世俗”的である。
キリスト教や神話を離れて裸体画を描くことがタブーとされていた時代。まさにギリギリを攻めた作品だ。

ところで、ヴィーナスといえば多くの挿話にも登場する。
その一つに「パリスの審判」がある。
トロイア戦争の原因にもなったと伝えられるエピソード。そこでパリスを惑わしたのはヴィーナスだ。

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ルカス・クラーナハ(父)「パリスの審判」(1530-1535年頃)
この絵では目立ったアトリビュートがないため、三人の女性の区別が判然としないが。

最後に、ちょっと変わり種のヴィーナスを。
時代は「ウルビーノのヴィーナス」から100年ほどしか下っていないのだが、時代はすでにバロック。

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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ「キューピッドの髪を梳くヴィーナス」(1627年)
なんと劇画的で母性的なヴィーナスだろうか。
光の明暗の使い方は、カラヴァッジョの影響を強く受けていることが一目瞭然。ずっと見ていても飽きの来ない佳作と言える。

展覧会はルネサンス、バロックまでを範囲としたものだった。
印象派まで時代が下ると、クールベの如く目に見えぬ女神よりも街の女性や娼婦を描く画家が多くなってくる。ここにきて、ヴィーナスは完全に俗化してしまった。
天上にも地上にも居場所がなくなったヴィーナス。
しかし、女性が多くの画家によって描かれていくことは変わらないのだ。

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