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モノクロは日本人の得意技だと思うのです。

 Leica M10-Pで撮る時はJPEG+RAWに設定して、JPEGはモノクロにしている。最近モノクロで写真を撮る楽しさに気づいたのだ。正直な事を言うと、筆者もついこの間までは「なんでモノクロで撮るのだろう。」と思っていたクチだ。カラーの方が色の情報が多いのだから、カラーで撮れば良いのに、と考えていた。

 モノクロ写真は情報量が少ない。デジタル的な情報量という意味ではモノクロは輝度情報0-255で、カラー写真はR/G/Bの輝度情報0-255で1/3なのだが、視覚的にはそれ以上の開きがあるように感じる。カラーはRGBの組み合わせで黄色(255:255:0)、紫(128:0:128)と様々な色味が表現でき、さらにその黄色の中でも濃い黄色、薄い黄色などが表現できるからだ。しかし、モノクロ写真がカラー写真と比べて劣っているかと言うと、答えは「否」である。モノクロ写真は情報量が少ないが、その少なさが良いのである。写真に限らず、一般的に情報量を上手く制限すると、逆に"本来の情報量よりも増える"からだ。そして、その増える量は無限である。

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 何の事だか分からない思うので、具体的な話をしようと思う。例えば「俳句」。俳句はこの世のすべての事象を、「5・7・5」の17文字で表現したものである。

 「やせ蛙負けるな一茶これにあり」(小林一茶)

この句は、蛙のオス同士がメスを巡って争った時に痩せた弱いオスを応援した句だとか、病弱な息子を"痩せ蛙"と表現し心配し詠んだ句とも言われている。どちらにせよ、「弱い立場を思う慈しみの心」や「子を思う親の気持ち」光景が目に浮かぶのは間違いないだろう。それも、下手な言葉で説明を尽くすより、俳句の17文字の方がはるかに雄弁である。しかも、俳句だけではない。31文字のみで表現する短歌もある。そのどちらも限られた文字(=情報)で表現することを要件とした文学であり、そして日本人の文化として定着している。

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 そして、現代。多くの日本人がTwitterを利用している。その利用率は、他国と比べると異常なほどだという。その理由として一般的にはデジタルインフラの充実や、電車移動が主でありスキマ時間が生じやすい環境などが挙げられているが、筆者は"140文字以内で表現すること"こそが、日本人の美意識に刺さったと確信している。俳句や短歌で培った、限られた情報で世界を表現するDNAを直撃したのではないだろうか。

 翻ってモノクロ写真。光の明暗情報のみで表現するのだが、"色を廃したが故に、色の可能性が無限になる"のである。それが上手く為された写真は、カラー写真とは比べ物にならないほど、リッチな色で表現されたような印象を受ける。残念だが、拙作ではそれが伝えづらい面があるので、Denis Lomme氏が撮ったプティ・ミヌー灯台の写真を見てほしい。まさに一目瞭然ではにないか。(写真はグーグル検索ですぐ見つけられると思うが、念のため筆者が紹介したTweetも掲載する。)。

 日本人は、"限られた情報で世界を表現すること"を無意識的に愛しているはずである。そんな我々だからこそ、敢えて色を廃したモノクロ表現は、得意技であるはずだ。思えば、80年代に山本耀司や川久保玲がどちらも黒を基調とした奇抜なファッションでモード界に震撼させたことも、偶然では無いように思える。モノクロ表現は日本人の得意技なのかもしれない。

 それでは、良き写活と良きnoteライフを。

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日本にはチップ文化が無いのでサポートするって習慣は馴染まないけど、そんな中サポートしてくれる人は素敵だと思います😭