フェミニストの海外信仰について思うこと
ツイッターをやってると、フェミニストと言われる女性の権利を訴える人たちのツイートが回ってくる。
なんでかって言うと、そういうツイートの多くは匿名の批判を浴びて炎上してリツイートされやすい。
確かに発言の論理性には穴が多く、理論としては突っ込まれやすいものが多い気がする。
私も全くフェミニストの理論に共感していないけど、彼女たちには正しいと思わせる何かがあるわけで、その思考の流れを追ってみようかなという好奇心を抱いた。
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私たちが自分の現状を不満に思う時って2つある。1つはより良く見える他人を見た時で、もう1つは過去の自分より待遇が悪くなったなと感じる時。
説明が簡単な後者からいうと、女性は若い頃って若い女性ってだけで周りからの待遇が良い気がする。
でも、だんだんと年をとっておばさんになってくると周りからチヤホヤはあまりされなくなるイメージ。
人間って自分の変化にはなかなか気づきにくいけど、周りの環境の変化には敏感だから、とても生きにくい現状だ!とちょっとすり替わって認識されちゃうのかなと。
もちろん人によると思うし、私はまだ19歳だから年齢の変化を実感して共感…ということはないけど、フェミニストに若い人が少なくて40代前後の人が多い理由だったりするのかなって偏見。
そしてメインテーマなのは前者。
フェミニストの人がよく例に挙げるのは、海外では女性が凄く大事にされていて……紳士がetc……レディファーストがetc……。
と海外信仰がめちゃくちゃあると思うんです。やっぱり海外と日本じゃ考え方がまったく違うんだと。
そしてそれは正解だと思う。
海外と日本では女性に関する考え方が歴史的文化的な背景からして根本的に違うから。
日本って山が多く盆地のようなところで稲作をしていたんだけど、稲作をする時に絶対必須な作業である田植え。
これは実は女性専門の作業だったりする。骨盤が男女で違うから、腰を低く落とした状態で長時間苗を植え続けるという作業は圧倒的に女性の方が得意だった。
で、その間男はなにをしていたかというと太鼓を叩いておむすびを握って女性を応援していた。
生活の基盤である食料調達が、西洋では男だけで行われていたけれど日本では男女共同作業。つまり女性は男が守るべき存在ではなく、対等な存在だったということ。
レディーファーストやら騎士道精神とかって女性を庇護するべき弱い存在だと見做しているから発生したもので、日本では昔から男女は平等だったんだ。だからそんな考え方自体が生まれなかった。
人口の9割を占める農民だけでなく、武士だって鎌倉時代の半ばは女性地頭が3割近く存在していたとかなんだとか。
戦国武将や平安貴族だったりと華々しいとこにスポットライトが当たるから昔は男尊女卑だったってイメージがあるだけで、そんなのは日本の歴史で1%にも満たない存在だと思う。
また、大正時代の女性権利活動化として有名な平塚雷鳥の言葉に「原始、女性は太陽だった」というものがある。
この言葉はよく誤解されているけど、太陽神のアマテラスを指すもの。
人間にとって最も重要な存在であったはずの太陽。
その太陽神の性別が女性なのは日本だけで、他のラーとか色々な神さまは全て男性神だ。
やっぱり昔から男尊女卑が染み付いていたのは海外で、日本は男女平等だったんじゃないかって私は思う。
男女平等だったからこそ女性を特別扱いする文化なんでできなかったんだろうなぁと。
まだ私は社会に出ていないから、もしかしたら凄く考えが足りない意見かもしれないけど、夜中に安心してコンビニに行けたり、満員電車でサラリーマンの人が前方にちょっとスペースを空けてくれたりと日本の男性は結構紳士的だと思うよって結論……おわり。
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