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ひな(ひいな)まつり NO/05

「どうしてひなまつりがあるの、なぜおひなさまをかざるの」

人形というのは、昔の人たちにとっては特別な意味をもっていました。人形は、人間のかわりにけがをしてくれるものであったり、人間の悪い行いに対する責任(せきにん)をかわりにとってくれる、といった人間の身がわりのような存在であると考えられていたのです。
今ではこんな考えかたはほとんどありません。しかし、今から1000年以上も前の日本では、これはかなり一般的な考え方だったのです。
昔は、人形で体をこすり、人間の悪い心や病気をすべて人形にうつして、その人形を川に流すといったことがよく行われていました。そうすることによって、人間は、悪い考えがなくなり、病気にもならずにすむと信じられていたのです。これは昔の人のおまじないのようなものだったのです。
この人形を川に流すというおまじないは、昔から長い間続けられたことでした。その後、どういうわけかこの人形を、川に流さずに部屋にかざっておくようになったのです。これがひな人形のはじまりであるといわれています。
また、この人形を部屋にかざる日が3月3日であるのは、中国の習慣(しゅうかん)がまじったためのようです。中国には昔から3月3日におそなえをするといった行事がありました。それが日本に伝わり、次第にそれが人形を部屋にかざる行事といっしょになっていったと考えられています。
したがって、今から500年ほど前には、だいたい現在のひなまつりににたものが行われていました。その後、江戸時代になって、現在のようなひな人形の形ができてきたといわれています。
ひなまつりも、調べてみると1000年も昔にさかのぼる行事であることがわかります。ひなまつりだけではなく、お正月の行事や節分の豆まきも、古い時代の習慣が今も残っているものなのです。これらを調べてみると案外おもしろいかもしれませんよ。

「ひいな遊び!」
 3月3日の今日はひな祭り。そこで、今回はひな祭りの「ひな」ということばに関する話などはどうでしょう?
 「ひな祭り」は「雛祭り」と書いて、今でこそ「ひなまつり」と言っているが、「雛」は古くは「ひいな(歴史的仮名遣いは「ひひな」)」と言うこともあった。ただし「ひな」も「ひいな」も今とは違い、ひな祭りに飾る人形のことではなく、女の子が玩具にする、紙や土、木などで作った小型の人形のことを言っていた。 
 「ひな」と「ひいな」ではどちらが古い言い方なのかよくわからないのだが、『日本国語大辞典 第2版』を見ると、平安時代の用例は「ひいな」の方が圧倒的に多い。
 たとえば『源氏物語』には、幼い紫の上の姿が可憐に描かれた以下のような場面がある。
 「ひゐななど、わざと屋ども造りつづけて、もろともに遊びつつ」(『源氏物語』若紫)
 「屋」というのは人形の家屋のこと。人形遊びをしている紫の上と「もろともに遊」んでいるのはほほえましいことに光源氏である。
 平安時代には、人形に着物を着せたり、いろいろな調度を整えたり飾ったりする女の子の遊びを「ひいな遊び」と呼んでいた。
 『枕草子』の「すぎにしかた恋しきもの」の段にも、「枯れたる葵。ひひなあそびの調度(=道具)」とある。
 これらの用例からもおわかりのように、平安時代には貴族の子女にとって「ひいな遊び」とはふだんの遊びであり、もともとは3月の節句と直接の関係はなかったのである。
 それが江戸時代になって、3月3日に固定した年中行事へと変わっていく。なぜそうなったのか。
 それは、「端午(たんご)」「七夕(たなばた)」などと同じ五節供の一つである「上巳(じょうし)」と結びついたからである。「上巳」とは、昔中国で、3月の初めの巳(み)の日を「上巳」と呼び、後に3月3日をその日として、みそぎをして不祥を払う行事を行った日である。日本でもこれにならい、朝廷・貴族の行事として3月3日に川辺に出て、はらえを行い、宴を張る(曲水の宴)ならわしが生まれた。さらに民間でもこの日は婦女子の祝いの日として草餅・桃酒・白酒などを食べたり飲んだりするようになり、やがてこれが今の行事に近い形となる。
 そして、祭りの呼び名も「ひいな祭り」から「ひな祭り」に変わり、今と同じような「ひな人形」も生まれるのである。

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