自由に使える素材として絵を提供する難しさ

ストックイラストをやってみたいと思ったけれど、会員登録でつまずいている。身分証明書の画像を送らなければいけないことが、心配になって踏み出せない。ストックイラスト の会社がその情報を悪用することはなかったとしても、外部から侵入した何者かに情報を奪われないとも限らない。どこでどんな人に見られて、どんな犯罪に使われるかわからない。そう思ったら、どうしてもできないのだ。

そんな私にとって、noteの「みんなのフォトギャラリー」に自分の絵を登録することは、ストックイラストの予行演習のようで、面白い体験になっている。

自分の絵をどなたかが使ってくださることは、やはり嬉しい。意外な驚きもある。「私の描いたトマトやナスの絵を、こんな文脈で使ってくださるのか!」と面白く感じたりする。

でも、その中で、あっと思ったことがある。

あるポイントで、私と真っ向から対立する意見を持つ方が、ご自分の意見を主張する文章の見出し画像に私の絵を使っていたのだ。そのポイントは、私が絶対に譲れないところだったので、自分の絵を使われたことが嫌だ、と初めて感じた。

そのポイントというのは、原発のことだ。

その方は、原発を使うことを推進する立場。
私たちは、原発事故で福島から避難した家族だ。私たちの生活は、原発事故で大きな影響を受け、今も困っていることがたくさんある。経済的にも、心情的にも。「原発がなければよかったのに」と、何度思ったかわからない。原発を推進・擁護・容認する意見には、どうしても賛成できない。
その文章の中で、原発のことに触れているのはほんの少しだったけれど、その主張に添えるものとして自分の絵が使われたことは、やはり悲しかった。

私の絵を使ったこと自体は、もちろん、その方が悪いわけではない。どう使うかは、使ってくださる方の自由なのだから。私の手を離れた時点で、絵は、見てくださる方のいろいろな解釈を受け止めるものとなる。誰がどんな主張を持ち、何を考えて、私の絵をどう使うかは、すべてその方の自由だ。
「みんなのフォトギャラリー」に画像を登録するのは、「どうぞこの画像を自由に使ってください、どんな内容と組み合わせてもOKです」という意思表明をした、ということになるのだろう。

でも、どうなのかな。
今後、また、自分の意見と真っ向から対立する人に、自分の絵を使われたら、私は我慢できるだろうか。私が許容できないような主張を支援する「道具」として、私の描いた絵が使われたとしたら。

こんな風に考えてしまう私には、やっぱりストックイラスト は向いていないのかもしれない。

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