言葉がなくても優しさは伝わる

なんだか最近、ひとつのエピソードを繰り返し思い出してしまうので、今書いておこうと思う。既にnoteにも書いたのではなかったかと思ったのだけど、過去の記事を探しても見つからなかった。もしも重複していたらごめんなさい。

私には重度の知的障害のある姉がいて(その話は前に書いたのだけれど)、姉が入所している施設を夫と子どもたちと一緒に訪ねたことがある。14年くらい前だったと思う。子どもたちに、自分たちの親戚に障害のある人がいることを知ってもらいたかったのだ。

絵本が好きな姉は、誰にもらったのか「ジャッキーとくまのがっこう」の絵本を大事そうに抱えていた。可愛い絵や色使いが気に入っているのかもしれない。私が、姉が子どもの頃好きだった絵本を手渡すと、姉は嬉しそうな声をあげて、笑顔で何度もぺこりぺこりとお辞儀をした。

姉と同じフロアには、知的障害は重いが、身体障害はほとんどない人たちが集まっている。子どもの頃に同じ施設に入所し、一緒に成長してきたメンバーが多いようだ。若い時には遊び方も元気いっぱいで、大きな声を出してエネルギーを爆発させていた人もいたが、中高年を迎えたこの時には、皆がすっかり静かに穏やかになっているように見えた。

その中の一人の男性(おそらく50代)は、プラスチック製の大きな鎖を床の上でジャラジャラと音を立てながら動かすのがお気に入りの遊びであるようだった。

うちの末っ子の三男は、当時1歳くらいだったと思う。床に置かれていたその人の鎖を見つけて、そっと鎖に手を伸ばした。夫が三男の傍で見ている。

男性は、何も言わずに、2メートルくらい離れたところにしゃがんで、静かに三男を見ていた。小さな三男の様子を優しく見守ってくれているように見えた。

  (貸してくれるの.....?)

私はその方の態度に胸を打たれた。
その方にとって、鎖は大切なおもちゃなのだと思う。自分が楽しく遊んでいるおもちゃを、今日初めて会った小さな子どもに、使わせようとしてくれているの?

どんなに障害が重くても、言葉が話せなくても、優しさを態度で表すことはできる。鎖に手を伸ばす三男を見守っているその男性が、ひとつの美しい光景として私の記憶に残り続けている。


もうひとつ、思い出したエピソードがある。

さらに過去に遡り、私自身が小さかった時のこと。はっきりとはわからないが、6歳くらいだったのではないかと思う。

その日、姉の施設の行事(運動会だったと思う)で、両親に連れられて私も施設に来ていた。施設の庭で行事が行われるので、大勢の入所者や保護者が庭に立っていたり、歩き回っていたりする。

一人で隅っこに立っていた私のところへ、向こうから、10代後半くらいの入所者のお兄さんが歩いてきた。手には、空気がすっかり抜けてへしゃげたゴムのサッカーボールを持っている。

その人は私のところまでやってきて、いきなり、そのボールを私の頭にポンと被せた。へしゃげたボールはちょうど帽子のように凹んでいて、私の頭の上に収まった。

その時、母とその人のお母さんは庭の反対側にいて、その様子を見ていたそうだ。

その人のお母さん「あの子(私のこと)、怖くないのかしら」
母「怖いに決まってるでしょう」
と話していたと、後から聞いた。

突然、自分よりずっと背の高い男性に無言でボールを被せられて、もちろん私もびっくりしたし、怖くて何も出来ずに、何も言えずに突っ立っていた。その方はそのまま、私から離れて歩いて行ってしまった。

今思えば、あの時、あのお兄さんは「あそこに小さい子がいるぞ」くらいの軽い気持ちで、もしかしたら親しみを表すために、ボールを私に被せたのかもしれない。

あの時の青年が、もしかしたら、何十年も経った後、三男に鎖を貸してくれようとしていたあの方だったのかもしれないな...。そう思ったら、ちょっと楽しい気持ちになった。もう、今では、確かめようのないことなのだけれど。

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