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博多人形の博子ちゃん。

ええと、クリスマスを前に熱が出て寝込んでいます。これはいったい何のバチだろう?まぁどうせ健康でも近所の定食屋でチキンを食べて笑うだけの行事なので、あんまり変わらないんだけども。

布団の中で、天井を見上げてると、昔の思い出があれこれ蘇る。病気の時ほど文章とか向き合い方が冴えるような謎機能が搭載されてるので、寝込んでる間、なるべく詩やエッセイを書くようにしています。

ブログの方でもアクセスランキング上位はほとんど病気の時書いたエッセイなのだ。(ありがとうございます!)

実はこの前に、布団の中での自問自答を8000字ほどのエッセイにまとめてたんだけど、メモアプリの容量を超えていたのか、さっき開いたらundefinedの表示と共に消えてしまってた。ほんとにいったい何のバチだろう…?

まぁいいや。ということで、消えたエッセイの中身を切り取って、一部を拡大して書き直そうと思う。文章が消えてもエピソードは事実だから、何回でも切り直せる。

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今日は容姿コンプレックスの話でもしていこうと思う。


わたしは幼少期から、よくよく顔のことでいじめられた。鼻が上を向いていて大きいし、目も細い。小さな頃はゴリラとか豚というあだ名が付いて回った。

今にして思えば、そこまでいうほどじゃないような気もする。いや、確かに一切、美人ではないような面なんだけど、他の方をスケッチしてて毎回思うのは、ほんとに人の魅力は容姿の美醜でジャッジ出来るほど、単純ではないということ。

その人らしさが魅力であり、可愛らしさであり。またその人らしくないとこも、魅力になったりする。幅は広く、逃げ道も無限にある。

例えば、もう一人自分がいて、少し離れたとこからわたしが動いてるとこをみれたら、鏡でみて毎朝「う”あ"あ"〜わたし~なにこれ~」ってなる印象と違うんじゃないかなぁ?と思う。自分以外の人物には仕草補正というのがかかるのだ。

客観視出来ないなりに、笑顔なんかで充分巻き返せたりするんだよ!人柄だよ!などと言い聞かせて暮らすしかない。 ここまでプラス思考出来るようになるまで、いったい何十年かかっただろう?小さな頃は、学校が地獄だった。

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ほんとはわたしは、お人形さん遊びもしたかったし、可愛いヒラヒラの服も着たかった。のに、わたしが親にねだるものは、フリスビーガンや、ピストルのおもちゃ。

わたしみたいなゴリラがお人形さん遊びをしてたら、絶対絶対笑われると思っていた。

今はむしろフリスビーガンがあれば一日中遊んで暮らせるような性格になってしまったけど、昔は男の子のおもちゃが憎かった。

こんなのがあるから、わたしはお人形さんが欲しいって正直に言えないんだ。と誰も家にいない時に、壁に叩きつけて壊してたりした。よっぽどだったのだろうと思う。

苦肉の策でわたしは、家に誰もいなくなったのを見計らって、仏間に置いてある博多人形をケースから出して、リボンを結んだり、舞踏会ごっこをしたりしていた。

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名前は博多の博の字をとって「博子ちゃん」と名付けた。博子ちゃんは何故か京都出身という設定だった。こいつの会話の語尾は「どすえ」。博多はどこに消えたんだろう?わたしの中では、着物=京都だった。

フランソワだのマリーちゃんだの、外の国の名前がイレギュラーに付くこともあった。そういう時の博子ちゃん(※フランソワver)の語尾は「ですの」だった。博多成分は徹底的に無視をした。

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今この話をリアルで振ると、ほとんどの人が笑い出す。渋いなぁ。とか、何が楽しいのかさっぱりわからないというような反応。

わたしは笑われるたび

(この人は、小さい頃、ちゃんとお人形さんで遊べたんだ…)
(いいな…)

とすごく悲しくなる。なんだかいたたまれなくなって、黙ってしまう。そうこうしてるうちに、わたしは博子ちゃんの話を誰にもしなくなってしまった。

まぁその人が悩んで悩み続けてきた道なんて、関わってたった数年では把握出来ない。親ですら子どもの気持ちがわからないのだからしょうがない。

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博子ちゃんは結局引っ越しの時だかに、これはもういいね。とか言って、古道具屋に売られてしまった。

わたしは、(ああ…博子ちゃんが…。)とよっぽど助けようとしたけど、理由を聞かれたら、今度はわたしが死んでしまう。 古道具屋を立ち去る時、わたしはお母さんに見られないように、下の方で小さく「ばいばい」をした。

出来たらやはり可愛いドレスのお人形さんが欲しかったので、博子ちゃんには愛と憎しみ両方が内包されてて、わたしはなんかこういうことを考えるだに、一人で泣いていた。

わたしの鼻が上を向いてなかったら、こんなことにはならなかったんだろう。という悩みの根源に戻ってくるからだ。

容姿コンプレックスの1番恐ろしいとこは、誰でもすぐに確認出来る場所に急所がくっついてるとこ。こんなとこについてたら通行人にも簡単に刺されてしまう。

そしてその急所を、肉眼ではただの一回も外から確認出来ないとこ。事実と罵倒は、たいていズレてる。真実でも何でもない、無神経な一言が、誰かの人生を脅かす。

わたしは鏡写りや写真写りって信憑性があんまりないと思う。仕草の情報がほとんど飛んでしまうツールだから。

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話少しずれますが、ツンデレとか好き避けとかで好きな人に酷いこという行為も同じことだと思う。自分のちっぽけなプライドを守るのと引き換えに相手を傷つける。

あとで好きでした。なんて言われても、刺されにきたのかよ。という話だ。

こんなの愛でも恋でも好きでもなんでもないんじゃないかなぁ?とも思う。自分のことしか考えてないからだ。好きなのを隠したいのは、そっちの勝手な事情だ、巻き込むなよ。と思う。

「好き」は暴言や冷遇の免罪符にはならない。

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いつ誰に言われたのかは思い出せないけど、ヘンな顔。とどこかで言われて、初めて意識して鏡を見たのは覚えがある。あらためて鏡の中のわたしは、なんだか眠そうで、みすぼらしくて、鼻が上を向いていた。


――これは年少組あたりの記憶だろうか。


幼稚園の時のこと、ピアノカバーの内側に、女の子をさらって隠す悪者ごっこみたいな遊びが大流行りで、さらわれるのはいつも目鼻立ちがクリクリと可愛らしい女の子ばかり。

「やだ〜」みたいなことを口々に叫ぶ女の子達はなんだかみな嬉しそうに見えた。いつもわたしはさらわれなかった。


ある日のこと。遠くの方で、ぽつんと一人、園庭の花に話しかけた。

「わたしがヘンなかおだからかな…?」

口に出したら、無性に悲しくなって、ポロポロ涙が零れてきたのをすごくよく覚えている。

容姿コンプレックスの最初の一言の記憶だ。先生にどうしたの?と聞かれた時、怪我もしてないのに「ころんだの」と返答した。精一杯のプライドだった。


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わたしは絵の練習を始めて、しばらくして、可愛いというのは、容姿だけの話じゃないのだな。と、なんか分かってきた。しかも多少抜けてるぐらいの方がグッとくる。人の可愛いところを探して描いてるうち、わたしもそのまんまでいる努力を開始した。

容姿に関しては、適度に食ってたまに増えたら減量するぐらいで丁度良いのかなぁ?と最近思う。そのまんまでいいというのを言い訳にしてもダメだから。


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博子ちゃんがどこかの古道具屋に売られて行って、もう何十年経ったろう?いまだに思い出す、好きで大嫌いで、大好きだったわたしのトモダチ。

わたしの歩いてきた道、足跡には、白い花とぐちゃぐちゃの泥だらけの赤い花が咲いている。

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