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知識上で得たことにしてしまう自我

ノンデュアリティを発信している人は沢山いる。

その発信内容を聴けば、読めば理解はできる人もいる。
その理解上でそれを手にしたように感じてしまう人がいる。

ノンデュアリティさは理解ではないのだけど、理解のうちはそれが理解できない。

理解。
それ、「私」がまだ存在していて、肩に力入ってる状態。


理解できた時点で、それを手に入れたように感じて、
「そうか、起きてるだけだ」・・

にしてしまう。


そういうことではないのだけど、

起きていることに抵抗しても仕方ない、
私がしているわけではない と、

自我が 理解で自分に言い聞かせている
ことが起きている 

というケースが多い。


答えを得たかのような自分 に気づけない。


「私」という何かをコントロールできる存在はいない 

ということを伝えているのだけど、私が存在してしまっている

なので、ちょっとズレがある。


これを正確に伝えることはできない

言葉にした瞬間に違うものにならから、どうしようもないのだけど。


解放が起きると、どこかに向かえなくなる。
向こうところがないから。
頼るものもなくなる。


理解で、ノンデュアリティ を目的地にしていないだろうか?


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