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いつだって夢を叶えられるわたしたちへ

このところ、嬉しくもバタバタしている私ですが、



「ビジョンが見つからない」
「本当にやりたいこと、使命が分からない」


と、ずっとずっとこれまで、どこか不完全燃焼な日々を過ごしてきました。


ある頃から、いつかは。とぼんやり願っていた夢が、肚で決めた瞬間に怒涛のスピードで現実になり。というか、して。


中々ないスピード感であり、流れな気がするので、ことばとして遺して置きたいなと思い、この経験がだれかのなにかになればこれ以上のことはないと書いています。


いつかはこんなことがしたい。
ぼんやりとしかないけれど、今の状態に違和感がある。


そんなあなたが、あなたの人生を生ききるなにかのきっかけ、エールになれば嬉しいです。


だれかのためになるのかしら・・・と不安はありつつ、でも、これまでこういうことを文章化してこなかったので、今回のこの衝動はやれということだと思い、頑張ってみます。


はじめに、本当は、さいごに伝えたいこと

今もう7杯目でそこそこ酔っていて、この内容で果たしていいんか?と思っているので後日再編集する可能性があることを置かせていただきながら


夢を叶えるってなんだろう?


って思うわたしがいるんですよね夢ってなんだろう?が近いかな


やりたいこと
使命
ビジョン


一時期この単語を見るだけでも、ザワッとしていました


それほど、なんか、なんだか、わたしのエネルギーの使い方に物足りなさを感じていたんです


そんなこと叶えられるの、一部のひとだけだよと思っていたこともあります


わたしはコーチとして活動もしていたし、ずっとコーチングを受けているけれども、常にどこか、だれだか分からない第三者的一般目線でわたしを見ていました


(まだすこしある)


でも、やりたいより、めちゃくちゃ怖いけれどやってみたら今日が寿命でもいい、と思える日が増えてきて


それを感じられることはなにかが少しづつわかってきて


ただ、それを仕事にしたいわけではなくて


でも、資本主義のなかやりたくて



いろいろな葛藤とともに、今は資本主義を無視しながらお店を経営し、のこりの時間で資本主義で生きられるようエネルギーをつかっています


これが、今のわたしがとれる生き方でした


正直めっちゃくちゃ大変で、やすみはほぼなくて、毎日全エネルギー使って


でも、それでも、いつでもピリオドを打てる生き方ができています


お金(資本主義)から離れた時間が増えてから特に
心身が大切にしたいことの声を聴けるようになってきた気がします



何が言いたいか分からなくなってきたけれど
わたしは、あなたの、そんな生命の粒を育める場としてわたしや、わたしの場をつかってほしいとおもっています


みんなが、自分の声を聴いて
願いを叶えていく未来はきっと、遺したい未来になるとおもうんです


だから、わたしがやれることは何でもやります
これを読んでくれたあなたが、
あなたの人生を生きてくれたら嬉しいし、もしわたしが一助になるのであればいつでもご連絡いただけたら嬉しいです


出会ってくださり、一緒にこの時代を生きてくださり、本当に本当にありがとうございます

(まだお店で飲んでるんだけど泣けてきた)





何が起こったのか

まずは、どんなことが起こったかを少しだけ。


①【今回のメインテーマ】計画ゼロから激戦区浅草に自分のお店を持つことになった

2024/2のこと。
拠点を持つと決めてから、たった3ヶ月でオープンしました。場所も、物件も、テーマもなにもまっさらな状態から。もちろん、飲食も物販も、とにかくお店を持つことは初めてで、何にも分からない。準備もしていない。ただ、決めたことがトリガーになりました。



いっぱい失敗しながら、なんとか日々営業しています



②3年間、純粋に好きを続けたらTHECOACHのLounge(コミュニティ)リードになった

2023/12のこと。
このポジションがそもそもなく、結果的に新たな役割が生まれるというかたちで現実に現れました。まさかなれるとは思っていなかった。けれど、ずっとずっとこころに描いてきたことでした。



③怖いもの知らずで挑戦したら、未経験職種&英語力皆無でシンガポールへ海外転職できた

2020/9のこと。
もともと海外志向もなく、語学が一番苦手としてきたくらい英語や他言語に対してエッジがありました。
TOEICも450くらいだった私が、完全に勢いで進み、6ヶ月で転職が決まり現地就職しました。(そのおかげでめちゃくちゃ苦労もした)



この3つはそれぞれ叶い方は違えど、共通していたこともあります。
今回は特に①に重きを置きつつ、共通点をメインに、そして決めたあとやってきたことも書いていけたらな~と。



1.至福の体験を積み重ね、現実レベルにイメージする

これは、まだ何がやりたいか分からない、ビジョンがない時期、なんとなくぼや~っとあるときに今思えばやり続けていたこと。


自分が望む状態を叶えたときのことを、
①ちいさく、そして何度も経験し
②想像から現実に落としていく
そんな過程かなと思います。


至福の体験は、想像をぐっと現実に引き寄せます。


ありありとイメージできることは、叶う。
イメージだけでなく、感情が伴い、そのときの感情もありありと思い出せるとツヨイです



私はそう考えているし、歯止めを利かしたり不安を醸してくることって、大体「未知」なので、なんとなくでも想像できていることは大きいです。



もちろん、その通りになるわけではないけれど、先に進めるタイミングで、想像できていることは、自分を支えてくれます。



拠点をオープンするまでに



もともと飲食店ほどかっちりやりたくない私は、飲食店をやるという選択肢は当然持ちたいと思わず。
でも、ひとと食をとおして場をともにするという時間がとってもすきで。


なので、友人に自宅に来てもらい、ただただごはんをつくりおもてなしさせてもらう、イベントをやるときのごはん担当をする
などということを、もう何年も続けてきました。


そのうちそれが少しづつステップアップし
クローズドの場で有料提供したり、間借りして出店したり。影響力の範囲を広げてゆきました。


料理が得意でも、とりわけ好きなわけでも実はなかったわたし。何なら、包丁は過去のトラウマで使うのが今でも怖いです


でも、それでも、なぜだかひとに喜んでもらえる。そして、なにより、その場にいるわたしが最高に幸せを感じている。


その要素が重なって、何度やっても、何度も怖いと思っても、やってみると何度だって至福を感じ、何度だってやりたいと思えた。だからずっとやり続けた。



それが、いざお店を持つときに強烈な至高体験として威力を発揮し、恐れよりも、それを超える観たい世界が後押しになっていました。



至福だと思う体験を、自身がやり続けることで他には変えられない「蓄積した最高の体験」となり、わたしが選択に悩んだとき幾度も支えてくれました。ひとと比べたらちっぽけなことかもしれない。でも、そんなの関係ない。


比べる天秤に乗せた瞬間、形が変わってしまうようにも思う。
ただ、自分が好きなもの、でいい。



あの体験を、それを越える体験をすることが分かっているから、それまでのどんなことだってその体験に必要なものとしか思えなくなる。
そうしたら、いかなるハードルもちいさく感じる。


困難、恐れが、
その後を迎えるための希望、喜びになる。
それを知っているから何かを始めようと思ったときに、妨害しようと出てくるものが全て愛おしく思えるようになった。



至福の体験を経験し続けることは、現実に起こるあらゆることを必要な道のりと捉えさせてくれて、その先にある幸せを確信させてくれる。最高のバディとなった。



なんだっていい。
わたしは、この瞬間が、この時間が、この場が好きなんだ。わたしにとって至福なんだ。



そう思えることを、続けてみて欲しい。大切なのは、誰かに言われたからとやめないこと。細く、長くでいいから、本当に好きで、至福に感じることは誰になんと言われようと、どう思われようと、自分の中にあるものを大切に、選択していって欲しいと思ってしまう。



その種がどう育つかなんて、だれも分からない。
でも、あなたの中のそんな素敵なきっかけから生まれた種なのだから、可能性は無限にある。



きっとあなたの人生にとってのギフトになる。
そして、それは同時にだれかのギフトになる。



仕事にならないし、
誰でもやっていることだし、
ただの趣味だし



それでよくない?



好きなことを誰かと比較する必要なんてない。
ただ、ただ、自分が好きだと、幸せだと思えることを、どんなことであろうと、やり続けて幸せを更新していったらいい。不幸になるひとはいない。



自分が思っているより、あなたの好きや、幸せは、とってもユニークで唯一無二なんだよ。あなたの好きなこと、幸せなことの話を私はずっと聴いていたいよ。



上からに聞こえたらごめんなさい。
これは、この先もしも私が迷うことがあったときに、自分に向けて置いていることばでもあります。



2.行動の先に、安心して語れる場とひとがいた

これは、よく言われる「ひとにやりたいことを伝える」ことの大切さにかかるところで、もちろんそれは当たり前にしながらも、ことばだけでなく実際行動していることを知り、見て、第三者の中でのわたしが確立されていった。



ことばにして届けられるひとが、ひとり、ふたり、と増えてくると、多くのひとがこの世界の中でわたしはもう○○のひと、という認識になる



そうすると、これまでキャッチできていなかった情報を「りみさんがやりたいことに近いと思う」「この記事見てりみさんを思い出した」など、想起されることが増え、ありがたくもチャンスを沢山の方から繋げていただけるようになった。



もちろん、ことばにすることは大切。
ただ、ことばと行動が伴っていて、それを目撃してくれている方がいてくれることが、そのうん倍も大切なのでは?と最近は思う。


beingとdoingの根本が一致している


それが自他関係なく感じられると、もう世界は変わっていると思う


結局、ひとりでやれることは限られている。そして、わたしたちは、つながりの中で生きている。そのつながりが、自分の芯からやりたいこととつながったとき、全てがあたかも当たり前のようにその方向へ動いていく。



わたしはことばにしていたことは、そんなに多くはないと思う。でも、それをありがたくも受け取ってくださった方が、沢山バトンを繋いでくれた。
わたしのことばと、あなたの世界が交わって、現実にもたらされた。



同じコミュニティだけでなく、広く、いろいろなところで今やっていることを知ってもらう機会をつくることがよいような気がする。



そんな、安心してわたしのままいられる居場所がいくつもあった。
そのおかげで、力まず、叶う・叶わないを問わず、そのときどきに私が大切にしているもの、生きている間に叶えたいことを、整っていないながらも私のことばとして出す機会が幾度もあった。



ことばに出すというエッジを越えられてからは、更に伝えられるひと、範囲が拡大した。



ひとそれぞれ見ている世界が違うので、届いたひとの数、そこから広がる未来が異なる。そこに、伝えることばに嘘がなく、熱がこもっていたら、きっと伝わる。


だからこそ、やった方がいい、一般的にこうだ、ではなく、あなたの世界であなたがやりたいと、やりたいまではいかなくても、好きなことを語れるひと、場があるといいなと思う。


だから、わたしがそんな場をつくりたくて、拠点を持つことを決めた。


いつでも、話しに来てね



3.仲間から、外からのメッセージを面白がり経験してみる

2.が進んでいくと、もう叶えたいと思っている事象に向けて完全にアンテナが立っているし、周りも世界もそのモードになっている。
このとき、セレンディピティが起こりやすい。



なので、今まで届かなかった情報が届いたり、疑いたくなるようなおいしい話が飛んできたり、見えていなかったものが見えてきたりする。



ピンと来た情報は寝かさずにすぐにキャッチし、繋がってみる。
それがどう転ぶか分からなくても、先の想像はせずに、乗っかってみる。



目の前に起こることを、「面白がる」メガネで世界をみて、経験してみる。



すべてはなるべくしてなっていて、そのために私がいる。
そんな世界観を一旦受け入れて、起こることを体験してみる。



受け取れるために、スケジュールを詰めすぎない。
カレンダーはブロックし、必ず余白を作っておく。
自分が深呼吸できる場をもっておく。回復所をつくっておく。



このあたりを意識しながら、とにかく何が起きてもその世界に身を委ねてみると、自分の可能性を見誤っていたんだなと思えるようなミラクルがどんどん起きた。



aidaもまさに、そうして生まれた。



活動のひとつで自宅でオフライン会を開いていて、なんの流れか忘れたけれど、自然にそれぞれの好きなことを語る時間になった。



とってもいい時間で、私も拠点や場に対する想いを語らせてもらった。
その数日後くらいに、参加してくださった方がXである投稿をリツイートしてくれていて、それがたまたま私の目に留まった。



わたしがつくりたいと思っている、飲食店ではないけれど居場所にごはんがある、そんなところ。感動してコメントしていたら、私の話を聴いてシェアしたくなったとの。



そして、その私の感動したコメントを見た友人が、「ぼくの行きつけのお店です」という連絡をくれて。これはもう行くしかないと思った矢先、たまたまその友人と会うイベントを1か月先くらいに予定していて。



場所は違ったけれど、航空券をキャンセルしてそのお店へ行けるよう調整して一瞬で行くことを決めた。



その日を迎え、実際に行ったら、わたしが叶えたい現実がそこにあった。
そのお店での体験が、いつかやろうかなというぼんやりした思いから、これは私がやることだという決心に近い気持ちに昇華された。



そのお店の店長さんに勧められて、翌日、全予定を変えて豊島美術館に行った。そこで、あまりに美しく、自然で、でも意志も混在していて、純度の高い空間を体験した。



丸裸にされ、わたしの核だけ残った。そんな感覚になったわたしは、自分の拠点を持つこと、そしてそれを、そこからのひとのつながりを起点に世界へあたたかなこたつのような文化を広げてゆくという確信を静かに得た



ここから、私の拠点プロジェクトが始まった。
○○がなかったら×10くらい、辿り着かなった繋がりだった。世界は自分でいかようにも変えられる。キャッチするものも、キャッチしないものも、選択できる。



描きたい世界を描くために、何をキャッチするか、キャッチするための心身であるか。いざ起きたときに、怯むのではなく、面白がれるマインドであるか。それが左右したような気がする。



いくら、どれだけリスクヘッジしたって、自分ではどうにもならない大きな力がこの世界にはある。何が起こるか、だれも予想なんてできない。
それならば、起きることを面白がれるわたしでいられたら、なんか結果楽しく終えられそうな気がする。




4.既存の選択肢ではなく、自分で選択肢をつくる

この頃にはいろいろな選択に迫られていると思う。
やれること、叶えられることが一気に現実に現れていて、じゃあ「どうやって」やっていくかというところに立つ。



ここで立ちはだかるのが、一般的に~、常識は~、ルールとしては~、
という、現実化のための硬めの制約。


わたしがやりたいことは、多岐に渡っているしモデルケースがないからどう物件を探していくか本当に苦戦した


飲食がやれる
となると、居抜きや飲食向けの物件になってしまう。でもそれだと、やりたいこと全部をやりきれない。飲食、というスタイルに形容される場をもちたいわけではない。



そこで、いい感じだなと思う拠点を持っているうーさんに話を聴きに行った。



色々なことをシェアしていただいたけれど、わたしが掴んだ感覚としては、経験をあてにしないこと。自分の安心ルートで選ばないこと。直感と、観たい世界を大切にすることだった



そこから私は飲食可の物件を候補から外して、探し始めた。場として、直感で気になるところへ、飲食不可だけれど問い合わせし



描いていることをお伝えした


ら、面白いことにあれよあれよとその世界に賛同して貸してくださるオーナーさんと出会い、2ヶ月でaidaを生み出した



観たい世界の変化にあなた自身がなってください


マハトマ・ガンディーのことば。


わたしはこの通りにことばにし、動くことをなにがあろうと続けてきた


それほど、肚で決めた観たい世界があった


不思議なことに、いのちの活動が伝わると、本当にたくさんの方が助けてくださった


そりゃあ、すでにある世界に溢れた知見を学んで選択することは安心するし助けになる


ただ、逆にそれが制約になっているのであれば、分からなくて怖いけれど、確かに自分にある観たい世界のための第三の選択をしていくのも手なのかなとおもう


How to のギフトへ感謝しながら、毎秒変わりゆくこの世界で、わなんないけどみんながいる

それを土台につくってゆく選択をわたしは今もこれからもしてゆく


正解も不正解もなくて、あるのは、わたしたちが今生きているという事実なんだとおもう


とはいえ、こわさは出てくると思う


わたしも抱えきれずにこんなnote をかいた。叫びのようなnote



でも、これを見てたくさんの、本当に本当にたくさんの方が助けてくださった


わたしは、自分に、自分が生きている世界にある大切なものを見落としていたことに気がついた


どれだけ新たなことをしようとも、そのエネルギーの根源は、わたしたちがもうすでに持っている宝物。


あるものから、はじめよう。




さいごに

だいすきです!!!!!!!!!


このあと、より人生をかけて動いてゆくためにやりたい活動のことも書こうかなと


スペシャルサンクスは、個別にご連絡させてください。100人以上の方が、aidaをつくってくださった事実とともに、わたしは命あるかぎりやり続けます

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