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絵を見る静けさ

私は現代アートが好きです。

現代アート?難しそう…と思う方も多いと思うのですが、実は有名な絵画を見ることとさして変わりません。

例えばこの絵を見てみてください。1分間はかけて、よおく見てみる。

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さあ、では見るのを辞めてください。あなたは何を見ましたか?ぜひ頭の中で誰かに話してみてください。

このワーク、実は私、大学の授業でやりました。そしてその時、私のクラスで起きたことはこんなことでした。

先生「ではこの絵について発言してください」生徒「ダヴィンチのモナリザです」先生「他には?」生徒「ルネサンスの絵で…」先生「他には?」生徒「…」

こんなやり取りを続け、私たち生徒一同はだんだんもう答えられることがないと俯き出しました。そうしたら、最後に先生がこんなことを聞いたのです。

「じゃああの絵に描かれていた女の人、右手と左手どちらが上だった?」

衝撃でした。全く見ていなかったのです。見ていたかもしれないけれど、素通りしていた。覚えていなかった。

この時、クラス中の誰もがいかに自分たちが知識に偏重して絵画を見ていたのかに気付きました。もっと言えば、私たちは絵を見てもいなかったのではないかと感じたのです。

私は大学に入ったばかりのころ「現代アートなんて難しそう」「カッコつけてる人が見に行くもの」なんていう偏見の塊でした。しかしこの体験を通して「どんな作品もそこで起きていることに目を凝らして対峙して楽しむだけなのだ」と思うようにました。そして、どうせなら今まで行ったことのないタイプの展覧会に行ってみようと現代アートの展覧会に足を運びました。

「なんだこれ?!わけわかんないけど面白い!」

現代アートを実際に見てみると、近代までの絵画と違いもともと知識を持っていないから、一見よく分からないからこそ、よりよく見ようと思えました。そして、この作品を作っているのは、同じ時代を生きている人なのだと思うと、視界が拓けていくようでした。気付いた頃には、年間50ぐらいの大小の展覧会に行くようになっていました。


たくさん作品を見るようになって、私はふと、作品を見ている時間が好きなのだと気付きました。私にとって、美術作品の良さは待っていてくれること。映像や音楽は不可逆的な時間の中に楽しみ方が固定されています。しかし、絵は待っていてくれます。何度も絵の中で目を泳がせ、途中どこか他の場所を見てもいい。急かされもしません。静かに、ぢっと、対峙できる。(もちろん、アートの中にはビデオアートなんかもありますが)

社会に生きていると、相手を長く待たせておくわけにはいかず、時間に追われ、回答に追われ、たまにひどく疲れた気持ちにもなります。でも、美術に向き合っている時間はピンと張り詰めているのに優しくて、私はとても癒されます。


今は美術館には行けない状況ですが、また開いたら是非行ってみてください。私のオススメの展覧会のまわり方は、はじめにザッと会場をひとまわりして、気になったいくつかの絵だけたっぷり時間をかけて見るというやり方です。もちろん混んでいる美術展では難しいです。空いている美術館をオススメします。だって、オフの時間まで人混みに揉まれたくはないでしょう?

もしも現代アートにチャレンジしてみたいという人がいたら、ぜひ東京都現代美術館に。常設のコレクション展だけでもお腹がいっぱいになるはずです。最寄りの駅からは少し歩きますが、せっかく絵を見に行くのです。たどり着くまでの時間も楽しんで。

たまに美術館に行くのを迷う人から「どんな絵が好きか分からない」という不安も聞きます。私はそういう時「とりあえず行ってみて、たくさん見るしかない!」と答えています。だって、あなたが好きな漫画や音楽やドラマや舞台にどうやって出会ったか思い出してください。きっと色々な作品に出会いながら「あっ、こっちより、こっちの方が好きだな」と、自分の好みを見つけていったはずなんです。アートだって同じです。たくさん見ているうちに、私はこんな作品が好きだと気付けてくるはずです。

そうして見つけた「好き」は、自分自身のあらわれでもあり、自分に向き合う良い材料でもあるような気がしています。


ああ早くふらりと美術館に行きたい。一人で行くのもいいし、好きな人を誘って行ったら楽しいだろうな。


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