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時間の持ち主

2022年6月26日、愛知県岡崎市のある畑に2000個の大豆の種が植えられた。それらは太陽、水、土の養分を吸収し大きくなる。
植えられた頃はライバルが多かった。大豆を育てるための畑だなんて知らないものだから、いわゆる雑草といわれる数々の植物が日を浴びて大きくなる。大豆の上に出て日を浴びようとする。

それを見た世話人の人間達はえっちらほっちら身体を動かし、雑草を取り除き、土を盛る。大豆が育ちやすい環境が整えられていく。

そうすると、今度は虫達が喜ぶ。
お、エサだエサだ。

お、エサだエサだ。鳥達もやってくる。

台風が来て葉が痛んだ。世話人達が嘆く。
同様に鳥達も、虫達も大変な思いをしたことだろう。

例会は月に一回だけ開かれる。年齢も職業も異なる30人近い人々が参加。葉が掻き分けられ、様子を見られる大豆達。それ以外の時間は悠々自適に日向ぼっこをしている。

そうして時は流れ、もう少しで大豆が収穫できるくらいに成長した。

収穫するまでにはどうしても時間が必要だった。

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「時間」は誰のものになったのだろう。
「時間を有効活用する」
「時間を無駄にする」
「時間を奪う」
「時間を調整する」
最近僕の回りに現れる「時間」はこんな姿をしている。

一昔前の姿を観察してみると
「冷ますために時間をおく」
「熱中して時間を忘れる」
「そうなるのも時間の問題」

これらの時間に持ち主は存在していない。冷ますために(自分の時間を)使うという表現は耳馴染みがないし、熱中して(自分の時間を)無駄にしたと言い換えるのにも無理がある。
逆に前述した最近の「時間」を見てみると、所有されているという特徴が備わっていると見受けられる。

「(自分の)時間を有効活用する」
「懇親会に出て(自分の)時間を無駄にする」
「ミーティングがまとまらず(上司の)時間を奪う」

違和感はなさそうだ。

「時間」ってどこにあるんだっけ。

僕は散歩に出かけた。


玄関を出るとひっくり返った虫が目に入った。
何分この状態なのだろう。
ここまで来るのに何分かかったんだろう。
いつ生まれたんだろう。

しばらく歩くと食パンについているプラスチック(🧩みたいなやつ)が落ちていた。
想像してみてください。

古びたアパートがあり、新車のワゴン車があり、立ち並ぶ街路樹がある。
良ければ散歩をしてみてください。

各々の時間が川のように流れている。

そこに自分という存在もいて。

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