不登校時代Ⅲ
中学時代は、中学1年生になって初めてのゴールデンウィークが終わり、
「さぁ学校だ!」と長い休み明けに朝、娘は起きてこない…
この時から、中学生時代の不登校が始りました。
最初は、怠けているんだと思って、休みで遊んだんだからしっかり学校へ促すよう叱ってばかり
これが毎日続くと、担任の先生が心配で家庭訪問をしばらくしてくださいました。
1年生の頃は、男性の担任の先生が他校から変わってきたばかりで新しい環境での生活は、
大変だからと娘によく話していただきました。
朝も自宅へ目覚ましのように電話をかけていただいて、娘を起こすお手伝いまでしていただきました。
それも続かず、行っては休む生活が続きました。
その間唯一、部活動の吹奏楽部は楽しいと言って部活動だけ参加の日もありました。
しかしながら、学校生活が順調でなかったために、部活動の人間関係もうまくいかなくなり部活動もやめてしまうこととなりました。
教室でも仲良くなった友達もいましたが、毎日こない友達を待ってばかりはいられないですよね。
凄く心配して、娘に優しく接してくれてる一人の友人がいました。彼女は、勉強もできる物静かな生徒さんで、娘が来れるようにと机に励ましの手紙を机の中に入れて置いてくれたり、配られるプリントは全て揃えて机にしまってくれていました。
休みの日は、何処かへ遊びに出かけようと担任の先生を通して、約束してくれる生徒さんでした。
今思うと、その生徒さんの親御さんが素晴らしく気遣いのできる方だったと思います。現在、全くおつきあいがなくなりましたが、親御さんにもお会いしたことなかったので、お会いして当時のことのお礼と感謝を伝えたいと思います。
中学生時代は、行っては休んでの学校生活でした。
同居してる両親にもいろんなことで心配をかけました。家庭不和にもなりかけた時、
担任の先生から学校のカウンセラーに相談してはどうかと提案していただきました。
早速、カウンセラーの先生にいろいろ親子で相談させていただきました。
娘は、カウンセラーの先生を慕って、落ち込んだ時は会いに行くという生活になりました。
まず、カウンセラーの先生から言われたことで、目から鱗だったのが
本人が一番辛い時、叱らずやれる事を少しづつやっていく事で自信をつける。
このお話を家族みんなが知っていなければいけない。
と思って、両親と主人にもカウンセラーの先生に会ってもらいました。
このことで、家族が一致団結できたように思います。
まず、みんなで話した事をカウンセラーの先生にもお話しして、まず自信を持たせるように少しづつはじめました。
学校生活全てが無理であれば、学校の門まで行く日を多く作り、その次に下駄箱までというように本当にゆっくりのペースで過ごす。
この方法で、教室まで行くことができました。
だけど、みんながいる時は中へ入れないでいました。
カウンセラー室で話をする時に、仲のいい友達を呼んでもらって話をしたりと、少しづつ学校へ気持ちが向くようにはなってきてました。
このういう生活を2年生まで続けて、3年生になってすぐに、担任の先生から修学旅行をどうするかというお話がありました。
娘の学校は、ホテルの部屋に2人ずつ宿泊する形になっていました。
娘と同室になった友人が1人で宿泊するようになるから、絶対来て欲しいと自宅へ電話をかけてきてくれました。
娘もこのことがきっかけで、修学旅行の参加を渋々承諾し、3泊4日の九州の旅へ出かけて行きました。4月の終わりです。
帰る当日迎えに行った時は、笑顔もなく疲れた様子で、ぐったりしてました。
本当に行かせて良かったのか。と苦しい思いしか残っていないのではないかと後悔もしました。
案の定疲れきってしまった娘は、帰ってからは、学校へは全くいけなくなりました。
偶然にも仕事柄、適応指導室へ美術や造形の指導で訪れることがあったので、不登校の子どもさんが通う教室として、適応指導室の存在は知っていました。
早速、そこへ通えるように担任の先生へお願いしました。
まず、そこでの面接があります。学校へ行けなくてもそこへは毎日通う事を約束できれば通うことができます。
服装も行動も自由。9時から15時までその教室で過ごしていれば、学校へ行ったこととなります。
勉強もしたいと思えば、個人的に教えていただけて、本を読んだり、絵を描いたりと何をしても自由なんです。
しかし、娘はずっと勉強してたようです。学校や塾を行かずにテストはそこそこの点をとっていました。
テストは、こちらの教室で全て受けさせていただけたので、3年生は何とか楽しいこともありながら過ごせたように思います。
そこで知り合った他校の友人ができました。同じ思いの友人なので気持ちもわかりあい、
よく遊びに出かけて行ってました。
ダンスやよさこい等も習っていたので、学校へは行けなくてもダンスやよさこいは休まず行ってました。そこでの友人とはうまく関われていました。というかすごく娘の気持ちをわかってくれる友人がその中にはいたので、その友人に会いに行っていたのだと思います。
高校受験のことを考えなくてはいけない時期になりました。
また、次回に続きます…
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