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ビジュアルメモリーズ 第2話「ネトゲが市民権を得た瞬間」

一般家庭にインターネットが普及し始めたのは90年代初頭。ちょうどその頃、アバターによるチャット機能に加えて、ゲームにグラフィック処理が実装された世界初のMMORPG『Neverwinter Nights』が、1991年にMS-DOS向けに発売された。これが現代のオンラインRPGの土台を形作った最初のタイトルだと言われている。

その後、1996年末にハクスラの代名詞ともいえるBlizzard Entertainmentの『Diablo』が登場。MORPGの先駆けとして、全世界で300万本を超えるセールスを記録した。時を同じくして1997年7月、近代MMORPGの始祖『Ultima Online』がElectronic Artsからリリースされた。商用のMMORPGとしては最初の成功例であり、後世の発展に与えた影響は計り知れない。

しかし、この頃はまだオンラインゲームといえば、一部のコアユーザーのみが嗜む狭いジャンルの娯楽だった。ちなみに同年、セガは家庭用ゲーム機では史上初となるオンラインRPG『Dragon's Dream』をセガサターン用に発売していたが、まだコンソールユーザーの間でオンラインゲームがほとんど認知されていなかったことに加えて、通信機能を別に用意しなければならないというハードルの高さからプレイヤー数が伸び悩み、わずか数年で運営終了。同ジャンルの普及には繋がらなかった。

ネトゲ黎明期を支えた夢の箱

その経緯もあり、インターネット通信用のアナログモデムが標準搭載されたドリームキャストの登場は、まさにネトゲ文化が市民権を得る転機。黎明期から成長期へと移り変わるきっかけだったとも言える。実はモデムの標準搭載というだけなら、ドリームキャストが発売される2年も前にバンダイのピピンアットマークというハードが存在していた。こちらは世界一売れなかったゲーム機として歴史に名を残した。

現在では家庭用ゲーム機でも一般的になったゲームソフトのデジタル販売や発売後のアップデート配信すら存在しなかった時代。コンソールユーザーにオンラインゲームへの扉が開かれたと言っても、厳密にはオンライン通信で協力プレイや対戦プレイ、特典コンテンツのダウンロード機能に対応し始めた時期と表現すべきかもしれない。

ドリームキャストの発売当時、一般的なインターネットといえばダイアルアップ接続が当たり前だった。後に標準搭載のモデムと換装することでLAN接続に対応したブロードバンドアダプタが販売されたが、それまではインターネットに接続することと電話をかけることは、ほぼ同義だったのだ。そのためドリームキャストでオンラインコンテンツを遊んでいる間は分単位で電話代が増えていく。田舎の一般家庭で常時接続なんてとんでもない。

そんな中、幼いながらにセガBBSといった電子掲示板で、見知らぬ人と出会うスリルにも似た喜びを覚えた私の心を鷲づかみにしたのが、セガ・マークIIIやメガドライブで一世を風靡したセガの名作『ファンタシースター』を世界中のプレイヤーと一緒に遊べる『PSO』だった。

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