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Clair de Lune【#シロクマ文芸部】

 こんばんは、樹立夏です。
今週は、無理せずに予定を入れず、ゆっくりと過ごしました。
小牧幸助さまの下記企画に参加させていただきます。
小牧幸助さま、今週も素敵な企画をありがとうございます。
日曜夜に小説に打ち込むことができ、月曜をすっきりとした気分で迎えられています。

 それでは、本編をどうぞ!

🌒🌓🌕🌗🌖 

 月の耳に届くように、私は今夜も歌う。

「ねえ、海莉かいりはどうして月に行きたいの?」
「どうして? 理由なんてないよ。僕は、絶対に月に行くんだ」
「海莉が月に行っちゃったら、誰が私の歌をきいてくれるの?」
「僕が、『月の耳』になる。夜、月をめがけて歌って! 波音はのんのソプラノ、きっと月まで届くから」

 努力家の海莉は、必死で勉強し、政府の宇宙開発機構に採用された。一方の私も、念願の音楽大学を卒業し、歌手として劇場で職を得た。それから一年ほどで、海莉は月面探査の任務に就いた。夢が叶ったと、海莉は泣いていた。

「月に着いて、準備ができたら地球と交信する。波音の声も、その時聞ける」

 心から嬉しそうに、海莉は私を見つめた。ロケットに乗る前、握ってくれた手が、温かかった。

「日本の皆さん、おはようございます! 宇宙飛行士の森宮海莉です」

 ついに、月に到着した海莉と交信できた。

「地球は、本当に美しい。この青い色は、海の色ですね。この広い海は、分断なんかされていません。地球は、一つです」

 画面に映る海莉は、涙ぐんでいるようだった。
 
「僕の親愛なる妻に向けて、この歌を歌います」

 海莉は、おどけた指揮者のように、両手を動かしながら、ベートーヴェンの「喜びの歌」の一節を歌った。今度は私が泣く番だ。涙を堪えて、海莉に話しかけようとしたその時だった。

「緊急事態! 緊急事態! 酸素を確保できません!」

 突然、ざざざっと画面が乱れた。

「海莉……?」
「海莉っ!」

 月からの交信が、途絶えた。真っ黒な画面を見ながら、私は、凍り付いたように動けなくなった。叫んでも、泣いても、画面は海莉を映さなかった。
 
 海莉は一流のエンジニアだ。きっと、不具合を修正して、地球に帰ってきてくれる。信じること以外、何もできないまま、日々は飛ぶように過ぎていく。私のお腹は、だんだんと大きくなった。元気に私のお腹を蹴る、私たちのお姫様が、「大丈夫。パパは戻ってくる。元気を出して!」と、私を勇気づけてくれるようだった。

 私は、月が出る夜は必ず、二階の窓から、月に向かって歌った。海莉は、自分が「月の耳」になると、ずいぶん昔に笑った。それにしても、月は何て遠いのだろう。どんなに大声を張り上げても、月にいる海莉に届くとは思えない。それでも私は、諦められない。

 臨月になっても、海莉は戻ってこなかった。 

 お風呂に入っていた時のことだ。下腹部を刺すような痛みが襲った。まずい、これはまずい。浴槽が赤く染まり、意識が薄れる。万が一の時のために、浴槽のそばに置いておいたスマートフォンで、救急車を呼んだ。

 意識が途切れる直前、海莉の歌が聞こえた。少しおどけたような、喜びの歌。ああ、お腹の子は大丈夫だと、無条件に信じることができた。けれど、私は。私は、どうなってもいい。海莉に会えなかったことが心残りだけれど、この子が助かれば、私はどうなってもいい。

 目が覚めた。私は、生きていた。手を握っていてくれた看護師さんが、にっこりとほほ笑み、ベッドサイドに目を遣る。私たちのお姫様は、すうすうと寝息を立て、穏やかに眠っていた。たくさんの人から血液をもらい、私は命を取り留めたのだ。
 
 別の看護師さんが、ばたばたと病室へ駆けこんできた。
「こら、藤井! 病室で走るな!」
「先輩、すみません! 始末書でもなんでも書きますから! とにかく、これを森宮さんに!」
 
 看護師さんが、スマートフォンを差し出す。流れて来たのは、懐かしい、あの喜びの歌。
 
「波音! ありがとう! よくがんばったね」

 海莉は、生きていた。私たちは、私たちのお姫様を「月音つきね」と名付けた。
  
 ミッションを終えた海莉は、何もなかったように笑って、地球に帰ってきた。

 <終>

 
#シロクマ文芸部

 

 


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