あるヨーギニーの自叙伝②書く目的は何なのか?
突如として始まった、このあるヨーギニーシリーズ。
先にお伝えしておくとヨガをする女性のことを巷では「ヨギー二」と言ったりするが、正確には「ヨーギニー」である。
さて、ヨーガスートラならば第一章の第2項は「ヨーガの目的」について記されている。
それならば、このブログを書く目的を書いてみよう。
端的に言えば「足跡」のようなものかもしれない。
いつか娘たちに読んでもらえたらいいと思ってみたり。
人生の苦しみに苛まれたときに、母がどう苦境に対応してきたのか、その生き様や言葉、ヨーガの言葉が力になればいいと願っている。
彼女達はノーテンキな私しか知らないのだ。ぐちゃぐちゃに苦しんでいた時があるからこそ、今、底抜けの笑顔が湧いている事は知らない。だからこそ、書いておきたい。
なぜそんなことを言うかというと、
私の実の父がそのような人であったからである。
父は会社を経営していて、365日仕事をしているような人であったがとにかく読書家であり勉強家であった。
仕事以外はほとんど本を読むか何かものを書いていた。
それは手紙であったり、本の一節をまとめたりしていた。自費出版で本も書いていた。
幼い頃から、父から読み聞かせてもらったのは「聖書」だったり仏教の本の一節だった。父は特に宗教、精神世界、心理学の本を読んでいて難しくて分からないかな、と言いながらも話してくれる時間が、私は本当に好きだった。
私が社会人になると、父はたくさんの本や言葉を贈ってくれた。
一番最初にプレゼントしてくれた本は
カーネギーの本だった。
仕事で大きな仕事をまかされてプレッシャーを感じていたとき、朝仕事に行くときに、机に置き手紙のように、賢者の言葉を書いて残してくれていた。
そのうち、父との共通の本棚を作り、その本について語りあったりした。
一番多かったのはヨーガの先駆者中村天風の本だった。父も瞑想者だったのだ。
さてそんな尊敬する父が亡くなったのはもう19年前。
膵臓がんが見つかって2ヶ月で旅立っていった。
働き盛りの61歳。経営する会社の社員たちと私と母を残して。
その当時の私は、今のように肝が据わっておらず
もう本当に父の死に打ちひしがれてしまい
20代の女子が、一人娘で父の会社を背負わなければいけないという重荷に途方に暮れていた。
苦しみというのは幾重にも重なるものである。
その時期は会社の事だけではなく、プライベートでも
寄せては返す波のようにトラブルがいくつも重なり
もうどうしようもない時期となった。八方塞がりどころの話ではない。
その大大大ピンチを救ったのは何なのか?
父の残した言葉、だった。
父が書きためていたノートを何度となく読んだ。
そこには賢者、マスター達の言葉が散りばめられていた。父から私への最後の手紙を何回も何回も読んだ。
私が会社や家の大変な事を背負う事を父は予期していたんだろう。
きっとあなたならこの一番どきのピンチを乗り越えられる。あなたは私の誇りだ。
その言葉だけで、私はこの苦境を乗り越えられたといっても過言ではない。
もちろん、父と読んでいた本や教えが私を支えてくれた。
人生の大きな試練、孤独な戦いの中で、共にあったもの、それは父からの言葉だった。
ここまで説明してきてちょっと分かっていただけたら嬉しい。
私も娘に残していきたい。けれど読まれないかもしれない。でも、もしかしたら人生の岐路に立ったとき、役に立つかもしれない。
父は闘病中、自分の人生を振り返り、自叙伝を書きたいと言っていた。
でも、とても時間が足りなかった。
それもあって、私は書きたいのかもしれない。
父の代わりに果たしたいのかもしれない。
色々話したけれど
結局、理由なんて、なんでもいい。
ただ、今、書いている。それだけ。
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