大阪紀行 12歳の記憶
もちろんメインは、コロコロチキチキペッパーズ単独ライブ「let's go」大阪公演観覧のため。
なんばグランド花月、8年ぶりの公演。
そして、私にとっては初めてのNGK。
それから長年の夢だった居酒屋さんへ行くこと。
推し活の感想は別途つぶやくとして。
今回の旅の目的はもう一つ。
12歳の記憶をたどる旅。
父親の仕事の関係で、箕面市に小学5年生の3学期〜中学1年生の2学期までの2年間を過ごした。
せっかく大阪に行くのなら昔住んでいたところを見たいと思い、とにかく駅だけでも、と阪急箕面駅に向かうことにした。
実際住んでいたところは山の中腹で平和台という名前がついていたと思う。
両親の「借家は一戸建てにかぎる」というこだわりからここを選んだのだと思う。
いまだに借家住まいの実家だけど、私が生まれてから実家を出るまで4回引っ越してぜんぶ一戸建てだった。
いきなりだが私は時間の計算が苦手。
時間よりもやりたいことを優先してしまって、めちゃくちゃドタバタする。
結局は次の予定に間に合ったのだが、せっかくたどり着いた箕面駅には滞在10分。
元住んでいた家はおろか、観光したかった滝道すら行けず。
まぁ、その前に推し活(たこ焼き屋)してしまったのだから仕方ないけど…。
箕面萱野駅というところに着く前に車窓から山を見たらスパーガーデンが見えて、おおっ!となった。
まだある。
昔お父さんにプールに連れていってもらった。
なので、位置的には阪急箕面駅はあの辺だな、と予想する。
そこからが大変だった。バス停がわからない。あっち行ったりこっち行ったり、やっとバス停を見つけたときはバスの本数がなくてだいぶ待たなくてはならない。
また折り返してさっき見つけたタクシー乗り場へ。
タクシーは苦手。運転手のおじさんがこわい。
でも背に腹は代えられないと乗り込んだタクシーはラッキーなことに女性ドライバーさん。
バスに乗ろうと思ったら本数がないんですねぇと話しかけると、私たちは嬉しいですけどね、と冗談ぼく話してくれた。
今は旅行中で昔住んでたことを教えると、降り際に「旅行楽しんでください」と言ってくださった。
心がほんわかしながら時間を見ると、次の予定までに間に合うように乗らなければならない電車の時間は10分後。
さて、そこからどういう行動をとったか。
普通はすぐ駅に向かうだろうが、諦めきれない私。
そこから、記憶をたどって、まずは小学生の時の友達と買い物に行った商店街への道をみつけ、駅と反対方向に歩く。
町並みを確認して折り返そうとしたとき、ちらっと見えたレンガ造りの建物に見覚えがあり、走って向かう。
やっぱりこの作りは間違いない。スエヒロが入ってたビルだ。
外食好きの父親にしょっちゅう連れてこられた。
石焼きの焼肉屋さんだった。富士山で採ってきたという岩盤で焼き肉をする。記憶が確かならそんな感じのお店だった。
今はテナント募集の貼り紙がしてあり、いちおうパシャっと写真を撮った。
ふと周りを見ると箕面フィナンシェと書いたのぼりのあるお店が目の前にある。
ほんとうはもみじの天ぷらとかそういうのを買って帰ろうと思っていたが探す時間もない。
紅葉のマークにサトウカエデという文字を見て、あ、箕面の紅葉だ、と思いここに決めた。
すぐその店に入り、お土産を買う。
そして、まっすぐ駅の方へ引き返した。
まだやりたいことはある。
あと5〜6分か?
実家の母親に電話して驚かせたい。
歩きながら電話した。
え?箕面!?へ〜風邪が治ってよかったね!
母親との会話なんてこんなもんだ。
母「まだ時間ある?」
私「あと1分なら」
母「大谷がね〜…」……長い。
うんうん、と一通り聞き、じゃあまたね!と慌てて電話を切る。
そして、駅から見えるスパーガーデンを写真に収め、改札へ走る。
あっ、小さい頃食べたたこ焼き屋さんまだある!
間に合った。
心斎橋へ向かうのに、阪急〜御堂筋線と乗り継いだ。
チョコレート色の電車、石橋駅(今は石橋阪大前駅)の三角形のようなホームの乗り継ぎ、少しずつ思い出しながら。
小学校卒業のとき、友達と将来なりたい職業を紙に書いて風邪薬の錠剤が入っていた空き瓶に詰め、五月山公園の大きな木の根元に埋めた。
そのタイムカプセルはもうどこにあるかわからない。
大阪にいた2年間はたぶん自分の人生の中でだいぶ密度の濃い部分だったんだろうと思う。
たった10分の箕面だったけど結局楽しかった。
ちなみに将来なりたかったのはイラストレーター。