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「近代」の終わり? 「歴史」の終わり? ①

■ある問いに立ち止まる

ー近代をどう乗り越えたらいいと思いますか?ー

7/19(日)、拝見したオンラインイベント「今、瀬戸内から宇沢弘文~自然・アートから考える社会的共通資本~」のセッションの途中で出てきた問いがこれでした。

それもそのはず、経済学者である宇沢氏の唱えた「社会的共通資本」とは、近代以降の資本主義やビジネス主義に対する違和感からうまれた概念であり、まさに「近代」へのアンチ・テーゼと捉えられるからです。

ゆたかな経済・文化を育むためには、自然環境(大気、水、森林、河川など)・社会的インフラストラクチャー(道路、交通機関、上下水道など)・制度資本(教育、医療、金融など)が、国家や市場の原理によって支配されるのではなく、社会の共通財産として社会的な基準に則って管理されるべきだと宇沢氏は主張しています。

このイベントの共催者・福武總一郎氏も、直島のゆたかな自然や、地域の古き良き伝統をいかした現代アートを展開し、「社会的共通資本」の理念を備えていたからこそ、本企画が立ち上がりました。福武氏が新自由主義を批判し、「経済は文化の僕」という印象的な言葉を発していることからも、二人の共鳴がみてとれます。過去に福武氏が生前の宇沢氏を直島に招いて会食、その当時の様子を知りたいと思った宇沢氏の長女・占部まり氏と福武氏の意気投合によって今回のイベントが実現したのです。

社会的共通資本×ベネッセ

また、モデレータを務められた渋沢健氏は、日本資本主義の父・渋沢栄一の玄孫。「資本主義」ということで一見、宇沢氏の理念に反する立場に見えるかもしれませんが、そもそも渋沢栄一自身は「合本主義」という、孔子の『論語』道徳を基底に経済の構築を考えており、当時徹底的に利益を追求した三菱の創始者・岩崎弥太郎とは袂を分かった人物です(※1)。数々の慈善団体や病院、学校を建て社会貢献活動に奮ったことでも有名であり、まさに「社会的共通資本」の理念に通ずる思想の持主だということがわかります。

このほかにも「社会的共通資本」をキーに、各界で新進気鋭の研究者・実践者が登壇されたイベントでしたが、私個人としては、福武氏、占部氏、渋沢氏などを存じ上げていたため、楽しみにしていたという背景があります。

■問いに立ち戻る① ー明治から第二次世界大戦にかけての「近代」

と、イベントの開催概要の説明が長くなってしまいましたが、冒頭の問いに戻りましょう。

ー近代をどう乗り越えたらいいと思いますか?ー

登壇者の一人、鈴木寛氏によって提示されたこの問いは、明治時代の近代化以降、多くの日本人が論じてきたテーマ(※2)です。日本の「近代」とは、ペリーの黒船来航以降、西欧に対峙せざるえなくなった結果引き起こされた、資本主義化・中央集権化・工業化・合理主義化・都市化の時代を指します。

政治的側面から語れば、古くは明治維新を牽引した大久保利通らに抗った西郷隆盛(1828-1877)、雑誌『日本人』を創刊した志賀重昂(1863-1927)、三宅雪嶺(1860-1945)などの国粋主義者らがこの議論に先鞭をつけてきました。文学では、夏目漱石(1867-1916)や森鴎外(1862-1922)が、近代的自我の覚醒と挫折を作品にしたためています。

また、西洋哲学を超越するために東洋思想に着目した西田幾多郎(1870-1945)は日本独自の哲学を、西洋の個人主義を批判した和辻哲郎(1889-1960)は日本独自の倫理学を、日本人のルーツを「常民」に求めた柳田国男(1875-1962)は民俗学を創始するなど、数々の知識人が文字通り「日の本」を求めてきました。

太平洋戦争勃発直後の 1942年には、文芸誌『文学界』において、西谷啓治、小林秀雄、亀井勝一郎、三好達治、河上徹太郎などといった13名の文芸批評家が、西欧がもたらした近代からアジアを解放すると銘打った大東亜戦争を肯定的に受けとめようと、「近代の超克」という座談会を開きました。すなわち、戦間期は西欧による帝国主義が日本を蝕んでいくのではないか、自分の身体が脅かされるのではないかといった、生命の根源的かつ実存的な危機への不安が日本人を突き動かしてきたのです。

■問いに立ち戻る② ー敗戦後の「近代」

第二次世界大戦で敗戦すると、丸山真男(1914-1996)が日本の政治構造や精神風土を「無責任の体系」と指摘し、個人の自律を謳って戦後民主主義思想を主導していきます。戦争への反省とともにGHQによってつくられた砂上の楼閣にみえる「日本」に精神的支柱をいかに与えるかが模索されたというわけです。

日本が荒廃した土地を復興しようとしている間、世界では米ソの資本主義vs共産主義の冷たい戦争が繰り広げられ、その代理戦争である朝鮮戦争(1950)、ベトナム戦争(1965-1975)なども背景に、日本は高度経済成長期(1955-1973)を迎えます。

重化学工業分野での技術革新、固定為替相場制(1ドル=360円)の円安相場による輸出拡大、海外の安価な石油の輸入など、まさに「近代化」の延長線上に日本は復興を実現していきました。

1980年代に入ると、戦後の福祉の手厚い、いわゆる「大きな政府」をめざしたケインズ主義的な政策は財政赤字の深刻な累積を引き起こし、イギリスのサッチャー、アメリカのレーガンを皮切りに、減税・規制緩和・民営化を軸とする「小さな政府」をめざす新自由主義が広まっていきます。日本では中曽根康弘が新自由主義政策を採用しました。こうして、市場での利益追求が優先される競争原理が、日に日に人々の生活に入り込んできます。

1991年にソ連が崩壊し、マルクス共産主義の敗北が決定的となると資本主義はさらに加速しました。規制緩和がグローバリズムを促して世界の境界をなくし、国や民族固有の文明・文化は、異国のそれと衝突し、塗り替えられたり、消滅を迎えたりしています。

イノベーション(技術革新)、エビデンス(根拠)、コンセンサス(合意)、コンプライアンス(法令遵守)…言葉ひとつとっても、日本語で表現できる事柄が、英語で代替される場面が次第に増えてきていることがその証左でしょう。

私も新語はよく使うのでその是非を論じられる立場にないのですが、何においても常に新しいものを吸収し、息つく暇なく排出・廃棄する必要が迫られる、この忙しなさ。「以前あったものが消えていく喪失感」で心がざわつくことも事実です。

ー近代をどう乗り越えたらいいと思いますか?ー

この行き過ぎた資本主義、近代化について考えざる得ない。しかし、もう「近代」云々だなんて言っていること自体が、ナンセンスなことなのかもしれないと考えさせられる事柄がイベント中にありました。そのことを、次回書きたいと思います。今日は「近代」という歴史上の相対的な位置と奥行の話についてまでといたしましょう。

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※1:渋沢栄一への誤解って、アダム・スミスが『道徳感情論』において倫理性を重視したのに、「見えざる手」という言葉が独り歩きしてしまって、レッセフェール(自由放任主義)を促した人物と誤解されているのと似ていますね。

※2:明治以前にも、契沖→荷田春満→賀茂真淵→本居宣長→平田篤胤という国学の流れがあり、大陸(中国儒教)文化に抗して、本来の「日本」を発見しようとする根源的な欲というものがあったといえます。つまり、独自の文化が異質な他者によって脅かされ、自己イメージが揺さぶられた防衛反応として、自分のルーツを探ろうとする作業が起こる。それは渡来人がやってきて『古事記』『日本書紀』などが編纂され、日本という国のかたちを明らかにしようとしたときだって同じです。しかし、あえてここで「近代」が取り上げられているのは、現代が未だ「近代」のマインドセットを駆動して脈々と営まれているという認識が共有されているからでありましょう。


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