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6年前、父が亡くなりました。


心筋梗塞で、本当に突然。

こんなことってあるんだと。
ドラマみたいだなって、
少し他人事のように俯瞰していた部分もあった。

最後の言葉もなにもなくて
言い残したこと、やり残したこと
たくさんたくさんあるだろうなって思う。

でも、典型的なA型ですごく細かくて几帳面かと思いきや
割と楽観的なところもあった父は、
「起きちゃったことは仕方ないよ」
そう思っているような気もするねって、
母と妹2人と話したりしてた。

父のことはすごくすごく大好きで、
尊敬できる自慢のお父さんだった。

姉妹3人揃って、みんなそう思っていたし
いまも思ってる。

父のことを嫌だなって思ったこともなくて、
頭もいいしテニスも上手で物分りも良くて。
でもちょっと不器用で。

20歳すぎても腕組んで歩きたいなって思えた
本当に大好きなお父さん。

うちは父より母の方が少し歳上で。
老後のこととか考えるなら、母の方が先だなぁって
なんとなく思っていたけど。

まさか、こんなに突然父が亡くなるなんて。
いなくなっちゃうなんて。

当たり前だと思ってたことも
一瞬で当たり前じゃなくなる。

そのことをひどくひどく痛感させられた。

まさか自分たちに……と、何度も思った。

でも起きてしまったことは本当にどうしようもなくて。
前に進むしかなくて。

わたしは長女ということもあって、
「母を支えなきゃ」という思いと「父のために」という思いで
今まで生きてきた中で一番神経を使ったし、
頭もフル回転させてすごく動き回った。

人が亡くなったあとの役所への届出だったり
亡骸を自宅へ運ぶための手配や葬儀の手配
各銀行の残高状況、土地の名義変更などなど…
相続関係すべて

自分に関わる状況や物事を把握していないと
不安になってしまう性格のわたしなので、
司法書士さんなどには頼まずに全部自分でやろうと思って
動いた。

一番大変だったのは、
父が専門職分野の自営業をしていて
その会社を閉鎖させるための手続き。

父の仕事が専門職というのはなんとなく知っていたけど、
母も妹たちも詳しい仕事内容や会社の経営については誰もわからなくて。

まずは現状を把握することころから。
それから関係のある企業に連絡をしたり、
お金を借りていた銀行に連絡をしたり、
会社を閉鎖させるための告知を官報に依頼したり、
初めてのことだらけだったけれど、母と二人で駆け回って
なんとかかんとかひとつずつクリアしていった。

それでも、どうしても会社の最後の精算だけは、
わたしたちの力だけじゃどうにもできなくて
父が昔から懇意にしていた税理士さんに連絡して
そこだけはお願いすることにした。

清算人は母に設定して、段取りと手続きだけをお願いする形で。

その手続きのために必要なことや書類を事前に税理士さんに聞いて、
集めて用意して持って行った。

そして、その書類を確認した税理士さんが一言。

「さすが○○(父の名前)さんの娘さんだね。」

この言葉を聞いて、肩の荷がストンと下りた気がした。
本当に言葉通りストンって。


「さすが○○さんの娘さんだね。」

これって、わたしが褒められているようで
実は父の評価が高いということでもあるんですよね。
(〇〇さんはすごい人だったから、その娘さんもちゃんとできるんだね。)って。

父がしっかりしていてすごい人だということはわかっていたけれど。

最後の言葉も感謝の言葉も言えなくて、話せなくて、
もう何も届かないと思っていたけれど
わたしがしっかりしていることで
育ての親である父の評価も高くなるのかもしれない。
「素晴らしいご両親なのでしょうね。」
「ご両親の教育の賜物ですね。」
そう言ってもらうことができたなら

父が居なくなってからも親孝行できるのかもしれない。


気付かされた。

その場に居なくても、この世に居なくても
わたし次第で父の評価も決まるということを。

そう気づいてからは、
今まで以上に自分の言動に気をつけるようになった。

わたしの言葉遣いや態度ひとつで周りからの親への評価も変わる。

それは父はもちろん、存命の母に対しても。
両親には感謝してもしきれないから
だからこそ、些細なことや目に見えないことでも
“素晴らしいご両親”
そう思ってもらえるような“娘”でいたいと思う。

そう思って過ごすだけで、
いつもより少しだけ背筋が伸びるような感覚。

両親にとっても
“自慢の娘”でいたいな。


このことに気づかせてくれた
税理士さんの一言。


「さすが○○さんの娘さんだね。」


誰かに褒めてもらいたくて、
誰かに認めてもらいたくて、
行動していたわけではないけれど
この一言で、わたしは確かに救われました。


税理士さんいわく、
書類も必要なものも全部ちゃんと揃えられていたみたいで
「これがあれば完璧ですよ。あとはお任せください」とのことで、
本当にそのあとすぐに処理してくれて
父関係の片付けないといけないことはとりあえず一旦落ち着いた。

それからすぐ、
税理士さんの一言で肩の荷が下りた気持ちになったわたしは
地に足がつかないような、少しの間ふわふわとした感覚で日々を過ごした。

認めてもらえてほっとしたのと同時に、
自分の中でなにかが燃え尽きた感じ。

それからの数ヶ月間は、なんだかあまりやる気が出なかった記憶がある。


遺族って、本当に泣く暇もないくらい忙しい!

泣いたけどね。いっぱい。

父が突然亡くなってから一年間くらいは
いろいろ、いろいろあった。

あと、こういう時に人の本質っていうものが見えるのだと
悟りました。


父を喪ったけれど
同時に得たものもたくさんあった。

父の死をきっかけに、家族はもちろん
わたし自身の環境も大きく変わった。
このことがなければ、わたしは今の会社にいないだろうし
この会社に入社していないということは彼とも出会えていないはずで。

それはきっと、父が命を賭してわたしに残してくれたもの。


偶然はなくて、すべては必然なんだろうな。


とてもとても長くなってしまったし
読みづらかったでしょう…
ここまで読んでくださった方
ありがとうございます。


父の死からわたしが得たことや気づいたこと、
またぽつりぽつり書いていきたいなと思います。


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