見出し画像

面接前夜。私が大分県に移住・転職する理由をまとめてみた

Day12|2020年5月17日(日)

今日は、明日の市役所との面接前に気持ちを言語化して整理しておきたいと思い、なぜ東京で働く私が大分県に転職・移住するのか?について書きます。

東京生活6年目、医療系人材営業で働く私が、新卒入社から1年とちょっとで大分県豊後高田市に転職&移住することに。移住するまでのことや移住してからのこと。毎日気楽に楽しく書きます。

就活時の意思決定は「守り」だった

なんで転職・移住?の前にまずファーストキャリアをどのように選んだか、その結果何を感じ今回の転職に至ったか。そこからお話できればと。

今回の転職は一言で言うと、「自分のありたい姿を追い求めた結果、縁を頂いたから思い切って進む!」そんな転職です。

就職活動時の軸は、「日本の社会問題に関わる人でありたい」「人と情報という手段で解決したい」そして、東京で営業職で働くという枠の中で、今の医療介護領域で人材紹介をやっている企業にご縁を頂きました。自分がやりたい、関わりたい!というよりも、社会人ってどんなものだろう。こんな自分が頑張りやすい環境ってどこだろう?そんなことを言語化しながら、もちろんここで働きたいという気持ちはありつつも「ここならやっていけそう」という少し守りの姿勢があったことを今は反省しています。

当時は「ここなら頑張れそう=承認されそう」なんだったと思います。志を持ってここで私の時間を、力を尽くそう、という気持ちが弱かった

ただ別に、当時の自分を否定や後悔は全くしてません。あの大学3年生の2月、めいいっぱい言語化してその時の自分が出したアウトプットにはピッタリはまる選択でした。ただ、その後の時間や特にこの社会人1年を経て「本当はどう生きたいんだっけ」という心の底の部分により素直になれ、かつ私ならやれるという自信や勇気が持てたから、今このタイミングで新しい道に意思決定できたのだと思います。今度こそチャレンジングでもっと背伸びした選択です。

またもちろん、働いた1年2か月は学びが多かったです。約300名以上の看護師さんとお話させて頂く中でコミュニケーション力が少しつきましたし、上司からは人として社会人として自己受容すること、組織や仲間に向き合うことを教えて頂きました。このままここでも、これはこれで頑張っていけそう、そんな気持ちもあります。

ただどうしても、私の中の想いが強く動くことがない。医療介護というテーマへの共感や、この規模の会社で人材紹介営業やっているということへの納得感。10月くらいからもやもやしていた私は「やりたいこと探しの旅」に出ました。

大いなる迷いの中で、行動→言語化を繰り返し見つけた答え

2019年10月~2020年3月にかけて、今の職場で働きつつも、私の志や熱はどこで発揮されるのだろう?心がぐっと動くことって何だろう?私はこの会社じゃないとして何がしたいんだろう?はたまた、この会社で頑張れるとしてそれは何だろう?

悩みがぐるぐる付きまとう半年間でした。

そんな中で、実際に直感も信じながらとにかくこれいいな!と思ったイベントに足を運んだり、NOTEへのアウトプットを始めたり。かねてからやりたかった、ヨガのインストラクターコースを勉強したり、ヨガ会を実際に開いたり。いくつかできる範囲で行動しながら、都度振り返り、自分のありたい姿を言語化していきました。ざっとかいつまんで以下のように変化が。

◆医療介護のテーマに共感できない!頭で理解できるけどこれじゃない!
◆コミュニティ運営?とか良さそう。コミュニティマネージャー気になる!地方移住も漠然と心がわくわくするな
◆自分の体験知識をヒトに言語化して伝えたい!そんな場を作りたい!それどこかの地域でやれたらめっちゃいいのでは?
◆好きなことで場を作ろう!まずは東京でヨガ会開こう!
◆教えるためにヨガの資格取得→ヨガ会。これがやりたいことでは?まずヨガを東京で勉強しよう!
◆いや待て、そもそも在りたい姿、強く共感するってヨガだっけ?

こんな感じで変遷していき、東京でヨガの勉強と今の会社での働くことを両立しよう、が目的になっていたころに、Foundingbaseの大分での活動と出会いました。


最初はなんか良さそう、とにかく行ってみよう!程度で現場に行きました。見学に行ったとき、野菜の直売所の横で子ども食堂をやっている、ここをちょうどこれから大きくしていきたんだと話を聞いた時、「あれ、これ、私が漠然とやりたいと頭に思い描いていた、夢とも言える在りたい姿だ」と思いました。いっぱい色んなことを頭で考え言語化して進んできたけど、あれこれじゃん!と(笑) もうその時点で移住に8割くらい傾き。。。そのまま内定を頂けたことも後押しになり移住と転職を決めました。

就活時の軸だった「日本の社会問題に関わる人でありたい」「人と情報という手段で解決したい」それが大分県に行ってからは以下のようになりました。

「日本の社会問題に関わる人でありたい」⇒「日本の社会問題に、現場で自分も当事者として関わり、プレイヤーとして解決に取り組みたい」
「人と情報という手段で解決したい」⇒「子ども食堂を中心に地域コミュニティとして小規模多機能な自治ができる場所を作りたい」

自分がどの立ち位置でどんな問題に関わりたいのか。そして、私が志を強く持てるテーマは何なのか。就活時より言語化が進みました。そしてコミュニティを作ることでその場に集まる人と人の経験知見が循環する、お互いに助け合える優しい関係が作れる。そんな場に価値を感じるんだと気が付きました。もちろん、私はその中でヨガを教えたりと役に立てればいいですが、ヨガを教えるために何か場を作るは違ったよう。

そんなわけで、行動→言語化を経て今改めて私の3年間をここに投資しよう!という前向きな挑戦を決断しました。就活時は「頑張れそう=承認されそう」な環境なら”続く”と思っていましたが、社会人として仕事という終わりないものと関わるにあたって本当に自分が”続けていける”には「志がある道に、勇気をもって挑戦する」後ろに下がらないのではなく、前に引っ張ってくれる力が大きくないとダメだと強く思います。

今回決断できたのも、この転職は私にとってとても前向きなものだったから。1年3か月と今の会社でやりきれたとは言い難いですが、迷うより決めて進もうと思い転職が決意できました。

大分県で何やるの?(仮)

先日NOTEに少し記載しましたが、実際に7月からは市の雇用である地域おこし協力隊とFoundingbaseという企業の正社員の兼務という形で転職します。

夢むすびという地域の野菜の直売所で、一次産業である地元農業の地域商社の役割と農業従事者のコミュニティ、また地域コミュニティとしてその場が活用できるように、直売所運営全般を担います。すでにそこで活躍している先輩社員さんが1人いるのでその方の下でまずは働きます。

もちろん、組織の一員なのですべてがコミュニティ活動ではないですし、そもそも地域おこし協力隊なので地域にきちんと関わりながら生活するということも求められます。やるべきことをまずやる。まずはここからだと思います。

ただ(仮)とつけたのは自分でも何をやるのか分からない部分が多くあると思ったから。結構未知の世界です。都会との生活からもガラッと変わりますし、地域、しかも田舎でやっていけるのか、そういったことも不安がないと言ったらうそになります。ただ言えるのは、でもそんなことよりもこの活動に関わってみたい!という想い。

東京で働いていた方が・・・キャリアとしてせめて3年くらいは・・・みたな「このほうが良さそう、こうするべき」という考えは何度も出てきますが気持ちの奥底に素直に聞くと、やっぱりわかんないけどこっちで決めて頑張ってみよう!と思えるので未知ではありますが、やるしかない!

最後に

さっき、高校時代私の人生に最も影響を与えてくれた恩師に報告したらこんな返事が。(※先生もし見てたら勝手に乗せてごめんなさい)

「人のために自分の持てる力を尽くせるのは幸せなこと。大いに笑って、失敗も糧にするつもりで行っておいで!」

明るくにかっと笑う笑顔が魅力。メリハリはあるけど愛情深くて、自分の気持ちにも本気の人。そんな先生みたいな素直な人間になりたくて、あの人生で1番つらかったとも言える高校時代を生きながらえたと思っているので。そんな女性を私も私なりに体現したいという想いを改めて心に留めて。今日のNOTEはおしまい。つづく。





この記事が参加している募集

自己紹介

退職エントリ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?