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トンネルを抜ける / Day 26 誰かを想うこと

     ひゃあ。と思った。タイトルだけ書いておおよそ2ヶ月も放置していたんだと。この10月から年末まで、「人生終わっちゃうんじゃないか」って言うくらいの勢いで人に会った。求めて会うって言うより、「会う」って行為が押し寄せてくるって言う表現が妥当だと思う。全てに「NO」ではなく「YES」と答えたらどんななるんだろう、そんな好奇心もあったし、こんな世の中、一期一会を大事にしない手はないって思ったから、その出会い全てを味わい尽くした。それで良かった。

  もうほとんどその名前を口に出さなくなった元彼のわくさん。私と別れた後、Facebookに楽しそうな姿をあげていたが、それも束の間、病気になった。彼の文章から情報を取るならば、昨年の12月末に手術して、一旦帰宅、今は絶対安静で家におり、再び1月末に手術をするんだそうだ。コンビニのご飯が大好き(一方で人の手作りご飯は更に大好物なんだけど、自炊をしない、できないと変な初志貫徹がある昭和男)、ペットボトル飲料大好物、ヘビースモーカーなど、諸々考えられる理由は様々。もう連絡はとっていないし(メッセージも既読にもならないからね)ただFacebookから見るだけの情報。当初は5年も一緒にいた者として、多少の心配があったけれど、一方でこれが私の性格なんだけど「今こんな状態のわくさんが一緒にいたら仕事が疎かになってしまう」と言う、冷ややかな考えが脳裏に過ぎったのも事実。

   でもそれは、別れるまで道のりで、何かが捩れてしまったからそう感じるのだろうか?二人がうまく行っていた時に相手が病気になったら全身全霊で看病したのだろうか?彼は体を壊すことが私より多かったけど(とは言っても今回のような重い感じではない)私はその都度悔いなくやれることはやってたなって言う密かな自負心がある。もうたらればで、仮定でしかないのに「わくさんが今家にいて、絶対安静でベッドに伏せっていたら」と考える。やっぱり無理だ。一緒にはいられなかったな。もう。そして改めて思う。いくら妄想したとしても、それは二度と起きないことだと。

   前にも登場した、うちのマンションの管理をしてくれているヒラヤマさんに、わくさんが手術するって言う話をした。そしたら「まわりまわってくるもんだね」つまりプラマイゼロ的なことを言っていた。私をある意味裏切ったからってことか。これってどうなんだろう。聖人君主なんてこの世には存在しない。勝ち続ける人もいないし、負け続ける人もいない。と言うより根本、自分自身で今目の前にある事象をどう捉えるかの単純な話なんだよね。

   2月にまた一つ歳を重ねてしまう私は、今わくさんのことをおセンチに思うことより、鏡に映る自分の顔の造作の方にもっぱら気が行っている。誰もそんなあなたのこと気にしてないよって言う話なんだけど、気になるんだよね。そんな新年。




  


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