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トンネルを抜ける / Day17 丸出しだもんね

   ここ1週間くらいPCが壊れたおかげでえらい目にあった(だから書けなかったは言い訳にはならないかも)。その間も引き続き家に客人は訪れ続け、一方で私は先を急ぐように短い夏休みも取った。わくさんがいた時はというより、彼関係なくここ数年実はろくに休暇を取っていない。自分の仕事上、1年に合計すると数ヶ月にも及ぶ海外出張は、どうやら自分の何かを奪っていたようだ。灼熱の太陽の下「生きている」という実感を得るのは、まるで何かを「キメ」たような気分にしてくれる、単純に今そう思ってる。今は。

   とは言え細波のようにこちらに向かってくるざわつきは一体何なのだろう。子供の頃からやめることができない「刺激を求める」一方で、同じ振れ幅くらいに「静寂」も求めている自分。自分にとっての刺激はきっと人生の挑戦、冒険、究極の選択といったギャンブル、一方で静寂は、孤独や遮断するということでの静けさなのだ、ということも理解している。

   そんな矢先に、どうしても欲しかった本をやっと手に入れた。今はどこに行くのにも持ち歩き、貪り読んでいる。「自分は一体何者なのか」をテーマに書かれている内容は、読めば読むほど自分を更なる迷宮に陥れるような気にもなるが、その迷宮の中でどっぷり考えるのも悪くない。

   何度かここに出てくる親友で健啖家のあっこちゃんは、そんな本を読むような自分とは正反対の性格だ。合理的かつ過去を感傷的に振り返ることも、ない。そして人の気持ちも深くくみとれるし、かつ男にもド直球の天真爛漫さで行くから、彼女の夫はあっこちゃんにメロメロだ。そんな彼女にたまに言われるのが、私は好きの気持ちも含めて「丸出し」だと。

  「丸出しだもんな」って断定で言われると、自分の気持ちが弱気の時はなんだか「丸出しって、本当に下手な生き方だよね」(あんたってダメね)って言われている気がすると彼女に口答えをしたことがある。でも、彼女はそんなつもりは毛頭ない。その私の性格を彼女が客観的に見て端的に表現しただけ。そう、私はきっと自分の感情が「丸出し」に出てしまっていて、かつ計算高くもないのだろう。不器用中の不器用なのかもしれないし、それが正解か不正解かもわからない。まず根本的に「自分は何なのか」なんて言う本を貪り読んでるくらいだから、何も自分のことを解っちゃいない。

   わかっているのはただ一つだけ。今、生きているって言う事実。未来にも過去にも生きていない。まるでPCの強制終了みたいに、突如終わる夏を感じさせる今日の雨。感情を吐き出しまくった夏に終止符が打たれるのだろうか。

   



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