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原因は私か、世界か

私事だが、
昨年受験生を終えてからというもの
とっても涙もろくなった。

アマプラで見る映画は基本的になんでも泣く。
ニュースで高校サッカーの
試合映像が流れているだけで泣く。
ちなみにサッカーのルールは知らない。
音楽を聴いても泣くし、小説を読んでも泣くし、
基本的に何に対しても感動する。

受験生になる前はそんなことなかったのに。

自分でもなんでなんだろうと思う。

自分の中で考えられる理由は2つある。

1つ目の理由は、私。
私は、今までの人生で大学受験を迎えるまでに
苦労という苦労をしたことがなかった。
運動は苦手だったけどなんとかなったし、
正直勉強はできる方だったので、
漢検や英検を受ける時も特に勉強せず
中学の定期テストも
普通よりちょっと少ないくらいの勉強量で
学年5位以内には入っていた。
高校受験も
気づいたら受かってたみたいな感じだった。

しかし大学受験はそんなに甘くない。
気づいたら受かってたなんてありゃしない。
今までで1番頑張って、
自分こんなに頑張れるんだって知って、
やっと掴んだ合格はとても嬉しかったし
それでもダメだっ時は泣くほど悔しかった。

私は多分この経験を通して、
報われない努力があることも、
努力が報われなかった時の気持ちも、
劣等を自覚する苦しみも知ることが出来た。

より多くの視点の感情を
知ることが出来たからこそ、
感情移入の基準が低くなって
感動が増えたのかな、、と考察している。

もう1つは、世界。
ちょうど私が受験生として過ごした1年間は
現在も続く流行り病の1年目でもあった。
この出来事をきっかけに世界は大きく変わった。

今までできていたことが出来なくなって、
“当たり前”の難易度が上がった。
顔を半分隠す世の中になって、
それと同時に心も見えにくくなった。

時に芸術や娯楽、好きなことや人に使う時間は
不要(=要らないもの)とされ、
日常から色が消えていくのをひしひしと感じた。

だからこそ、
“当たり前”の難しさに勝って何かをする人や、
心からの笑顔、生身の感情が垣間見えた瞬間、
mustじゃないものを
必死で欲してやっと触れられた時間は
とてもカラフルに見えた。

そりゃ、涙も出るさ、
そんなのアートじゃん。


さて、どっちなんだろう、
近頃の私が涙もろい理由は。

ずっと分からない。
けど感動で溢れた毎日は大好きだから、
とりあえず、ありがとう。

草々

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