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ボクたちはみんな大人になれなかった / 燃え殻


最近私に響くのは、日常の切り方が絶妙すぎる具体的な言葉か、日常の一瞬とまっすぐ垂直に抽象化された言葉のどっちかだったりする。


その日常が、東京になった瞬間に切なさや美しさが増すのはなんでだろう。
中目黒、新宿、渋谷、六本木。
その、「具体的な地名を出しとけば景色がある程度伝わるだろう」という傲慢さ。
具体的なイメージはなくても、「たくさんの冷たい人」とは裏腹な「きらびやかで視覚的にうるさい街」という偏見で乗り切れてしまうのが悲しいんだか嬉しいんだか。

そんな、傲慢で寂しい街では、きっとありふれていて「何気ないもの」になってしまう人の弱さと愛の話。


この本で私は、人の寂しさや哀しさや虚しさを読んだ。
日常に潜むそれを、恋だの愛だの温度だの、そんなもので埋める話だった


一見関係ないような話をすると、先日、
「この世で最も最悪なエンタメとは」というテーマについて5人くらいの学生と話す機会があった。
わかりやすく就活の一環で、「最も最悪」なんて言葉を使う、その会社のセンスのなさに驚いた。

「エンタメ」はある種非日常でありながら、日常と交わってその真価を発揮する。
感情を揺さぶり、価値観を揺さぶり、エンタメに触れた後は少し余裕ができて人に優しくなれたりする。


この本の中で、とてもとても好きな彼女と鮮烈な恋をすることは、彼にとってのエンタメのようだった。

社会にカウントされないような社会人生活。
と思えば、カウントする立場に慣れずに結局居場所を見つけられない日々。
変わっていく人、信頼という名の期待を裏切られる日々。


そんな日常を支える、「圧倒的な正義」のような恋。
落とし穴を埋めてくれる、生きることそのもの、みたいな彼女。
突然くる終わり、それでも人生を紡いでいけるようになっていた彼。


「最も最悪なエンタメ」なんてものは知らないし、
「最も最悪なエンタメを売らないといけない」なんて言い切った清々しい顔ももう覚えてないけれど、
きっとあの恋愛は、彼が生きた日常で真価を発揮した。


「大人になれなかった」彼でも、日常を生きていけるところまで面倒をみた。
それはきっと、「ありがとう、さよなら」と言える恋愛だったのだろう。



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