見出し画像

2024年3月の日記

2024.3.1
なんだか気が抜けて、ぼんやりとした一日。誰かが居なくなっても、お店は変わらずに坦々と続いていく。バイト君が話していたこと。人として見てもらっていた気がして嬉しかったと。東京でバイトしているときは、自分がどんなに丁寧に接してもそれを見てもらえなかったって。世の中ってそんなものかもしれない。お客さんもお店の人も人を人と認識してる人がどのくらいいるのだろう。皆、少なからず自分をひとりの人として見てもらいたいはずなのに。私はお店の人だけど、よそのお店に行ったらコンビニでもスーパーでもお辞儀をしてお礼する。相手の顔を見る。そうしてもらえないことが多いから自分はそうする。バイト君に言ったのは、私達も人として見てほしいから相手にそうするんだよと伝えた。レビューなどする人はよくホスピタリティがどうのって言うけど、まずは自分が相手を人として見るべきなのにって思う。皆そうしたら世の中もう少し優しい世界になると思うんだけどな。

2024.3.2
雪の日。気温も低いからか久しぶりに白い粉雪っぽいのが薄っすらと積もってきれい。週末スタッフのSさんと映画の話をする。わたしは枯葉の上映を諦めてたけど、Sさんはパーフェクトデイズの上映を知らなかった。もう去年終わったものだと思っていたらしく、お互いよい情報交換が出来た。こういう話身近で出来るのは、なんだか嬉しい。最近は夜ごはんのときに、主人ともお酒をのみながらよく映画の話をする。枯葉に出てきた女の子達、MAUSTETYTÖT(マウステテュトット)のことがすっかり気になる存在になった。だって劇中歌のタイトルが「悲しみに生まれ、失望を身にまとう」なんだもの。カウリスマキの映画に出てくる人は表情がなく無口で暗い。それが何処か私達の暮らす北の人達に似てるよねと。思考まで近くて親近感がわくのである。

2024.3.3
入試前最後の週末。娘は部屋にいくと静かに勉強していて、穏やかに安定しているように見えたのだけど、夜になってわたしの部屋にやってきて落ちるー落ちるー受験やだーと言って布団でごろごろしだした笑学校の先生も塾の先生もお手紙には今までやってきた自分を信じてやってみたらいい、もし希望の道に行けなくてもあなたの未来はなくならないって書いていますよ。それぞれに見守ってくださっててありがたいのに、子供って大人の手紙とか全く読まないし話も聞かない生き物だ。ひとつ決まってるんだから、ダメだったらそちらにいけばいいよ。人生そう大きく変わらないから大丈夫と話す。まあ、わたしも嫌です試験とか。夜はおひなさまの日なので、まぐろとアボカドのちらし寿司、あさりの潮汁、レタスとわかめとツナのサラダ。何気に鉄分補給メニューになった。

2024.3.5
空もどんよりしていて大荒れ。3月なのに2月のよう。今年は2月と3月が入れ替わったみたいなお天気が続く。明日が入試ということで昼には学校が終わって、そのまま高校の近くまで下見に行く。学校と待ち合わせ場所の確認。近くの電話ボックスが使えるかの確認をする。夕食前の時間、久しぶりに娘が居間に来て主人に勉強のわからないところを教えてもらったり少し談笑している様子を見て安心する。落ちる落ちるとまだ言っているので気持ちの問題だから受かる受かるって言ったほうがいいよと言ったら、受かる受かる、ああ〜っ笑って、明るく穏やかな入試前日の夜だった。あなたが元気であればそれでいいです。

2024.3.5
高校入試当日の朝は、前の日に降った雪で道路まで真っ白で空が真っ青で、それはそれは美しい朝だった。緊張した表情の受験生達が白い息を吐きながら学校に入っていく。皆それぞれベストを尽くせますように。娘を送り出した後は、家で何をしていたら良いかわからなくなって、部屋の隅にほったらかしになっていた資料整理や、娘の部屋の掃除など黙々と考えなくてもよいことをする。面接が終わる頃に近くまで迎えに行き、その後は塾で自己採点があるので送迎して長い一日が終わった。夜は、私立の時にへとへとだったし、お疲れ様の意味も込めて美味しいものを食べたい!と思って、虹マの源ちゃんでお寿司を予約していた。お寿司を食べた後に、娘はやっと封印していたゲームをひらき嬉しそうに、やっぱりゲーム楽しいな〜と言っていた。わたしもゲームが好きで楽しそうにしている君がやっぱりいいなと思うよ。本当によく頑張ったね。お互い終わって心底ほっとした。

2024.3.6
去年の夏以来の東京へ。朝、新幹線にトラブルがあり行けるか、、となったけど30分遅れで東京着。コンパクトなスケジュールにしていたのでかけ足でまわることになる。朝8時過ぎに家を出て、最初の展示会が終わったのが15時くらい。さすがにお腹が空いて、わたしの東京のオアシスであるルヴァンのカフェに向かう。人も少ないし静かで落ち着ける。そしておいしいパンと野菜がもりもり食べられる。今回は珈琲もはじめて飲んだけど、深煎りのをネルドリップで入れてくれてとても美味しかった。何よりも働いている子達の雰囲気が好きである。食後に隣でパンを家族のお土産に買う。後は、もう一件のアポイントをすませて、新幹線に滑り込んで短い東京の旅はおしまい。もっと色々行きたかった気もするけど、このくらいでちょうどよかった気もする。いろんなお店があるけど、結局昔から変わらずにあるいつもの場所に行ってしまうんだな。

2024.3.7
ルヴァンで食べたプレートをまねた朝食を食べるあさ。普段は、ほとんどパン食じゃないけどおいしいのが買えた時は特別で、しっかり噛みしめて食べる。

2024.3.8
朝起きたら体がバキバキしている。一日遅れでやってくる軽い筋肉痛は、たぶん出張の疲れが今更になってやってきたのだと思うけど、こういうところに年齢を感じる。娘は卒業式前の最終登校日。通信簿を見るといかに3年生後期にぐんと伸びたかがわかる。めっちゃ頑張ったねと言ったら、もっと褒めてだって。夜はハンバーグ、サラダ、じゃがいものポタージュ。バーミックスは使ってみたらとても便利でお料理の幅が広がって楽しいです。

2024.3.9
娘の卒業式の日。9年間の長い義務教育が終わる。卒業したらここに記したいと思っていたことがある。娘は9年間国立の附属学校に通っていた。母が出身校で、勧められて小学校受験をする。保育園あがりで、受験対策など対してしなかったのに何故か受かった。入学してみてしばらくして驚いたのは附属学校に対しての周りの目である。入学したばかりの頃、学校の近くの公園で娘を遊ばせていたときに、近所の子が寄ってきて、どこの学校?って聞かれたので答えたら一瞬で冷たい空気に変わって足速に去っていった。後からわかるのだが、附属学校は医者やお金持ちの子供、恵まれた環境の子が行くところで周りとは違うという意味で一線置かれてしまう存在のようだった。附属学校だから恵まれているかというと実際は公立の学校よりも不利なことが沢山ある。実験校だから、実習生の授業、研究発表などがあって通常の授業が潰れる。宿題も出ないから、自分で勉強しないとついていけない。しまいには定期テストがなくなる。そういう環境にいても皆意識を持って過ごしている子達が多かったように思う。周りはお医者さんになるためにとか、親に言われてとかで地域で一番の学校を目指す子達ばかりであったけど、娘のように呑気にしてる子にも優しく、勉強の仕方をアドバイスしてくれたりした。娘はそんな仲間と過ごす学校の環境がとても落ち着くようだった。皆と仲良くというタイプではなく、どちらかというとひとりで過ごすのが好きな方だけど、そういう人も許されるような場所だった。娘が中3の終わり頃に話していたのは、才能がないのを環境のせいにする人がいるけど、自分はだからと言ってお金持ちを羨ましいとは思わないし、そういうので人を見るような人にはなりたくない。附属学校を差別の目で見る子達は親がそうだから、子供もそういう目になるのだと。その言葉を聞いて、附属学校に通わせた事はよかったのかどうか悩んでいた気持ちがすっと無くなった。ここで過ごさせてよかったと思った。皆と同じ教室で過ごすことはもう出来ないけど、過ごした時間で自分の心の中に残ったことはずっと続いていく宝物なのだ。

2024.3.10
卒業式が終わって、あとは合格発表を待つのみとなった娘は、どこか心の置き場がないようでソワソワと落ち着きがない。でも久しぶりに絵を描き始めているようで部屋の枕元にはスケッチブックがある。わたしはというと、ふわふわとした非日常から現実に戻って働かなくてはならぬ。お店でひと通り仕事を片付けて昼過ぎに家に戻ったら、ごはんを食べた後ストーブの前で横になっていたら、そのまま昼寝してしまった。昨日の日記は、ずっと心に留めていたことをなんとなく書いただけなのに、思わぬ反応があって驚いた。学校うんぬんではなくても、こういった差別は色々あるけれど、人を人としてフラットな目で見るようにしたいなと、ますます思った出来事であった。

2024.3.11
13年前の今日。保育園に迎えに行ったら、防災頭巾を被った子供達が部屋の隅にしゃがんでまとまっていたのが、なんとも可愛くて癒されたのを今でも思い出せる。月日が流れるのは早いのに合格発表までの日々は遠く感じる。娘も不安だろうけど、わたしも勝手に色々心配になって、新しい環境に馴染めるだろうかとか頭をめぐる一日。わたしは受験というものをしたことがない。昔からビビリで受験の重圧なんて想像するだけでも耐えられず、親が心配して高校も短大も早く決まる推薦入試をすすめられた。他の子より先に決まって呑気にしていたけど、皆こんな気持ちを抱えて卒業式を迎えていたんだな。挑戦しない人生ばかり送ってきて少し後悔しているけど、娘の受験は、自分も一緒になって考えて、行動して苦しかったけど楽しかった。子育てって自分の人生をもう一度見つめているみたいな気持ちに時々なる。彼女の人生は彼女のものだから親は横にいて支えるくらいしか出来ないけど。

2024.3.12
久しぶりに時間に縛られない休日。春の冷たい雨の日はちょっと苦手。先週は入試、出張、卒業式など休みの日も動いていたので今日はさすがに動きたくない。午前中は家でしか出来ない仕事と家事をしてお昼前になって眠くなって昼寝をする。夕方になって月一の娘の矯正歯科通い。自分でやると言ったものの、嫌いなようでこの日は、いつも機嫌が悪い。今日もやっぱり帰り道にちょっとしたことで揉めてケンカする。夜は主人リクエストでポトフとポークピカタ。夕食後眠くなって、でもまだ早いしと思って映画を見始めるも気がつくとテレビの前で寝ているので、あきらめて布団に潜りこむ。

2024.3.13
今日も家にこもる一日。おかげでたまっていた事務作業が片付いてさっぱりする。娘は予定がない日は機嫌がよい。自分の部屋にずっといるけど、たまに話し声がしていてたぶんお友達と喋っているんだと思う。別に直接会わなくても喋ったりオンラインでゲームしたり今の子達は遊び方も私の時代とは全然違う。でもネットで繋がってるならお互い何処に行っても相性がよければ関係は続く訳で、便利になったものだなあと思う。

2024.3.14
目まぐるしくお天気の変わる一日。家を出て歩いているときは少し暖かくて晴れていたのに、お店についてしばらくしたら強い雨、その後ぼたん雪、夕方になってすっかりやんで穏やかな空。今日は久しぶりの、ひとり黙々デー。休み明けの業務を淡々とこなす。お天気が回復したら、ポツポツとお客さんがいらっしゃったのでお相手をする。お店にいて物に触れていたり人に会っていると、仕事好きだなあと思う。夜は帰ったら主人がごはんを用意してくれていて、娘は相変わらず部屋で友達と通話してる笑い声がきこえて平和な日でした。

2024.3.15
県立高校合格発表の朝。ホームページでの発表の時間まで、ずっと緊張して手が震えていた(私)夢の中(娘)という状況。時間になり、受験番号を確認したらちゃんとある。すぐに娘に報告するも、間違いじゃないかとか言ってて、学校で資料を受け取るまでは自分の合格を信じていない様子だった。娘は中学3年の夏まで勉強に向き合ってこなかった。12月の三者面談では模試の平均で見ると志望校に受かった人はいないと言われていた。私達はそれでも娘の志望校より、もう一つ上の学校を勧めた。それはトップの学校だからではなく娘の好きな中学の校風に近くて本人に合うと思ったから。でも、娘は今の学校にした。本人に決めさせる、口出しはしないと決めたから後は何も言わなかった。夏のC判定から、最後にはA判定まで伸ばした。娘は自分で納得できる意味がないと物事に興味を持たないタイプで、どこでスイッチが入ったのかは不明だけど、もしかした模試で自分の立ち位置を確認して、苦手な部分を潰していくのがゲームみたいで楽しくなったのかもなと今終わってみると思う。ここからが本番ではあるけど自分で選んだ道を楽しんで欲しい。

2024.3.16
久しぶりに晴れた。空気は冷たいけれど、歩くのが気持ちのよい日。朝は商品のイメージカットや着用撮影。今日は物がメインだけどスタッフSさんがモデルになり持ってもらったり使っているような様子を撮影する。ものをいかしつつ自然に背景になるようなお洋服を選ぶ。光もきれいで、よい撮影になりました。撮影とひと仕事終えて、娘に頼まれたドーナツを駅まで買いに行く。帰宅して、簡単なスパゲッティを作り、食べ、娘と春からの学校のことの確認などする。入学の資料にいきなり春休みの課題が入っていて入学したらすぐテストがあるらしい。今まで課題の少ない生活だったから大丈夫かしらと思っていたら、すでに進めている様子で安心する。この前寝てしまったカウリスマキ映画を一本見てから、夕食の買い物。夜は、鱈の中華風酒蒸し、マカロニサラダ、レタスとツナとワカメのサラダ、お惣菜のカキフライ。自分の中にあった重たいものがとれて軽くなって日常がするりと戻ってきたように感じた一日。

2024.3.17
お店に居たら、昔からの知り合いやお客様に娘さん合格おめでとうと言われ、その度にうるっとくる一日。長いお客様は娘の小さな頃を知っているし、周りの知人はお子さんの居る人も多いから自分のことのように喜んでくれる。こういう節目で感じるのは、いろんな人に見つめられて支えられて育ってきたんだなってことで、ありがたいなと思います。

2024.3.18
水を含んだ雪が降る寒い一日。入試の点数開示のために娘と高校まで行く。結果、自己採点よりも点数がよかったと嬉しそうにしていた。歩きながら話していたら、もっと前から勉強していたらもっと点数とれたかなと言う。去年の春まではあまり勉強にも点数にも興味を持たなかったのに、そんなこと言うようになったんだなと内心うるっときながら、じゃあ高校ではそういう気持ちにならないように頑張ろうねと話す。中学校の先生に報告の電話をしたら、嬉しそうな声で頑張りましたねと言われ、また泣きそうになる。入試の話を誰かとする度に、いちいち感極まってしまうので話すのに困る。学校の先生や塾の先生って大変な仕事だと思うけど、たくさんの子供達が成長していく場面を見られる瞬間はきっと楽しいのだろうな。

2024.3.19
久しぶりの晴れの日だけど、風は冷たい。午前中は税理士さんのところに確定申告の資料受け取りにいき諸々の確認。いまの担当の方に変わって3年目の申告。とても丁寧で、色々考えてやって下さっているのがわかるから頑張って続けて欲しい…
午後は明日からの展示準備と、4月の展示の撮影など。4月の展示は2年前くらいからひそかに進めていた2人展で今から楽しみ。春からの娘の進学準備と仕事と並行していると頭がごちゃごちゃになってくるけれど、ひとつひとつ大切に進めなければ。

2024.3.20
思い立って久しぶりに絵を描く。絵を描くというよりも多分私は画用紙を鉛筆で塗り潰していく作業が好きなんだなと最近気がついた。

2024.3.21
3月に入ってから、雪は積もらないものの毎日冬のような寒さ。一旦春を感じた後の寒さはなかなか身も心もこたえる。朝から思わぬ事態が立て続けにおこって予定通りにいかなかったものの、なんとかお店をオープン。ひと息ついて家から持ってきた出来立ての台湾カステラひとかけと、ミルクコーヒーで簡単なお昼。ほわほわ優しい甘さのカステラを食べていたら、いろんなことがどうでもよくなった。時間がないくせに娘と昨日約束していたからと台湾カステラをつくり、慌てていたのでメレンゲを失敗した。でもそれなりにふくらんで美味しそうに出来た。お昼に持って行こうと思って、それならコーヒーもと思って急いで淹れて。持ってきてよかった。口に入れるものの力ってすごいな。元気の出ないときこそ、適当なものじゃなく、食べたいもの、おいしいものを食べようと思いました。

2024.3.22
娘の入学説明会。240名って集まってみるとすごい数だなあ。今までの約2倍いるってことだから。見渡しても色んな子がいるなあと、圧倒され、娘も私も疲れた。人が沢山いるところは嫌いとうんざりしていたのに学校を出たら、デッサン教室の見学がしたいだのコンタクトレンズにしたいだの、色々と溢れ出ている様子の娘。不安もあるけど、少し大人になって楽しみも増えているのかもと思い安心する。

2024.3.23
なんとなく年度末感の出てきた週末。お天気も穏やかだったからか、パタパタと忙しい日だった。昼過ぎにお店を抜けるつもりが夕方になってしまい、そのままスーパーで夕食の買い物。こんな日はハンバーグに限る。ハンバーグの日はポタージュとサラダをなんとなくセットで考えるので献立が楽である。今日はマッシュルーム気分でポタージュにもサラダにも入れた。サラダの葉っぱは何種類か混ぜると複雑になっておいしいことに気がつき色々お試し中。もしゃもしゃ生野菜食べるとさっぱりする。

2024.3.24
やっとポカポカとした春らしい日差し。そろそろと思い絵の朝練を再開する。ひとまず何も考えずに手を動かす。動かしていくとあとは自然に頭が働くようになって、イメージがふくらんでいく。やってみようと思っていた鉛筆とコピックの組み合わせは、なかなか楽しかった。

2024.3.25
朝、お店のシャッターをあけるとA4サイズの茶封筒が届いている。中身は暮らしの手帖29号。うちのお店は掲載されていないけれど、取材のちょっとしたお手伝いをした。冬にここに記していたのはこの記事のことでした。岡本さんが奈良美智さんの展示を見て弘前に来たいと思ったと話していたから、奈良さんのルーツを巡るなら何処だろうと想像しながら弘前のおすすめを主人と2人で考えながらお伝えした。どんな風に弘前の街を切り取るんだろうとずっと心待ちにしていた記事や写真を眺めていて、居酒屋の大将とのやりとりのところで泣きそうになる。そしてホテルの窓から毎日見ていたという風景は、私達の最初のお店(ホテル隣の古いビル)から毎日見ていたそのもので、この風景を見ながら希望を持っていつか色んな人に知って来てもらえるお店になったらいいなと思っていた、ちょっと切なくて苦しい思い出。街に暮らす人は新しいものばかり求めるけれど、昔から長くあるお店こそ街を形づくっていて、何処にもない弘前らしさが生まれているんじゃないか。記事の中の弘前には私の好きな弘前が詰まっていて、それを客観的に見た時にそう思ったのでした。

2024.3.26
前日に調子にのって飲み過ぎたせいで布団の中で一日を過ごす。途中娘がちょろちょろと私の部屋にやってきて無抵抗な私にくっついてきたりする。(いつもは、触れられるのが嫌いな私に拒否される)普段は甘えてなんでもわたしにやらせるのに、こういう時は心配して水や食べ物を持ってきてくれる。ずっと寝てるのに、それでも眠れるので寝て、夢をたくさん見る。病気でも二日酔いでも、そういう時は現在と自分が切り離されているような感覚になって、何処にいるのかよくわからなくなる。

2024.3.27
朝起きるとカーテンの外の光が少し前より大分明るくなっていることに気がつく。久しぶりに部屋の窓を開け、外の空気を吸い込む。まだ風が冷たいけれど日差しが心地よく日向ぼっこしながら朝の珈琲を飲んでいたら昨日からの頭痛がすっと消えていく。完璧なカフェイン中毒だなとちょっと落ち込みつつ、自分はそんなものだから仕方ないやとも思う。昨日の遅れを取り戻すべく、洗濯と朝ごはんの支度、ごみの分別などなど。午後はお店でペンキ塗りをして、早めに夕食を済ませ、夜は一本映画を見る。ウエスアンダーソンのアステロイド・シティ。集中したかったけど、途中で娘が乱入してきてうまく入り込めず。またチャンスを見つけて見てみようと思う。お酒や甘いもの、珈琲。嗜好品は色々あるけれど身体のことを考えると何かを制限しなくてはいけない。どれかひとつだけと言われたら、たぶん真っ先に珈琲を選ぶと思う。

2024.3.28
暮らしの手帖のあの写真を見てから過去の記憶がぐんぐん溢れて頭の中を離れない。お店を始めたのは2007年6月1日。とある古いビルの3階。若い頃の根拠のない自信は簡単に打ち砕かれる。今みたいにSNSも発達していなかったから広がるのにも時間がかかったし誰もこない暇な店だった。あんなに苦しかったのに今思えばあの頃の方が自由に変なことばかりしていて楽しかったなと思う。近くに五右衛門という餃子屋さんがあって安くて美味しく大将が素敵な方で、落ち込んだときはよく行って餃子を沢山食べて元気を出した。大将は病気をして亡くなってしまいお店は跡形もない。一周年のときにお店でやったレイチェルダッドのライブは今も忘れられない奇跡みたいな素晴らしい夜だった。あのビルから眺める弘前が好きでお店を始めた。その頃のblogのタイトルは「a view from our Window」。大切にしていた場所との別れは突然で、悲しい事故のような出来事があってあの場所を離れたとても苦い思い出。暮らしの手帖のあの写真は全くの偶然なのに、あの場所が私達の原点であることを思い出させてくれたのである。

2024.3.29
午前中は雨降りだったけど、午後にはあがって明るくあたたかな春の日。午後は娘とメガネ屋さんへ。週のはじめにコンタクトレンズにすると意気込んで眼科に行ったものの、1時間以上練習したが無理だった。目に異物を入れることが怖くて無理らしい。憧れのコンタクトを断念し、ではメガネを新調しようと私が去年作ったお店に連れて行く。出掛ける前は、外に出たくない、面倒くさいと言っていたのにお店に着いたら案外乗り気で選んでいた。夜は、お豆腐を消費したかったので、わたしの好きな肉豆腐、海老マヨ、ツナ入りポテサラ。肉豆腐はわたしだけでなく家族も好きなようだった。味噌汁用になんとなくいつも冷蔵庫にあるけど使わないうちに期限が近くなることがあるのでまた作ろうっと。

2024.3.30
晴れているけれど風の強い一日。朝少し早めに家を出て開店前ひと仕事する。店での作業が終わり、虹のマートでおにぎりと津軽そば2玉買って家で娘とお昼ごはん。家でお昼に食べる津軽そばが好きである。たぶん母が好きで子供の頃によく食べていたからと思う。弘前だとつゆがちょっと甘い。ラーメンとかもちょっと甘い。わたしは青森育ちだからしょっぱい方が好みなので家で作る。青森は海が近いからか、なんでもしょっぱい。娘が、そばはあったかい方がおいしいよねと言うので、この柔らかいそばはこの辺りだけのものだと教えておく。娘も、津軽の味を舌で覚えていくんだな。

2024.3.31
3月のおわり。去年、そして年明けから抱えてきた物事がすとんとひと段落したような気持ちになって、ほっとした。自分の周りのさまざまな物事、人。平和で穏やかであって欲しいけど今は変化の時代なのか、なかなか安定せず物事が目まぐるしく変わる。風の時代とも言われているけど、まさに突風の中を少しずつ歩みを進めているような日々。今日まで展示していた花松あゆみさんの版画の中で、個人的に気に入った絵のタイトルは、たまたまなのか「風に乗って」だった。風に上手く乗れるといいなあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?