お祝いごとに良い思い出がないという話。

 卒業式、入学式、成人式。生きていれば節目のお祝いという行事はつきものだ。


 一番はじめに印象に残っているのは、小学校の卒業式。

 みんな、近所の中学に通うことが決まっていて、連絡を取り合えばすぐに会える距離だというのに「悲しい」「寂しい」と泣いていて、私には理解できなかった。

 泣く同級生を慰めながら、全く泣く気配のない自分に「アンタは冷たいね」と言った母の言葉が頭を過っていた。


  次に中学校の卒業式と、高校の卒業式。

 今度こそバラバラの進学で、周りの子とは会えなくなる。だから泣く努力をしてみた。でもやっぱり泣けなかった。慌てて少し涙ぐんで、泣きそうだと言ってみた。

 中学でも高校でも私は少し浮いた存在だったから、悲しいよりも「やっと新しい環境に行けるんだ」と思って開放感の方が強かった。


 それから大学の卒業式。

 ここでの私の存在は浮きに浮きまくっていたので、表面上にこにこしてくれる人たちはいても、陰ではよく思われていないことが分かっていた。

 職業をバカにされたことでそれが浮き彫りになって、悔しいのと情けないのとで駅のトイレで死にたい気持ちを涙で発散させた。

 地元に戻って母と二人で外食へ出た。きっと腫れた目を見て、大切な友達との別れに泣いていたんだと思われていると思ったし、そう思ってくれた方が良いと思った。

 友達がいないということを知られたくなかった。


 そして成人式。

 誰とも関わらず、挙句成人式には出席せずに家に帰った。着ていた振袖はとても綺麗で、こんな奴に選ばれた振袖が不憫だなと思った。

 成人式の前夜と当日は、下の記事の最後の方に書いたのでここには書かない。

 書いていてしんどくなってくる。

 この歳になると、お祝いなんて誕生日くらい。

 ちなみに過去の誕生日での思い出第一位は、「子どもを授かるには治療が必要」と言われたこと。

 私の人生は、喜びのお祝いとは縁が薄いのかもしれない。

 今年の誕生日は何の喜びもなくていいので、平穏な気持ちで迎えられたらと願うばかりだ。


 ※イラストはnicoさんから拝借いたしました。ありがとうございます。

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